真っ暗闇だった世界に
かすかな光が

 視神経の炎症を抑えるために「ステロイドパルス」という、ヒーローが大声でくり出すかっこいい必殺技みたいな治療をしたのだが、そこからそのステロイドを服用し続け、と同時に、血液中の血漿(けっしょう)成分を入れ替えるために「血漿交換」という、何かの儀式名みたいな治療も続けていた。

 この血漿は成分献血によって集められたもので、1パックあたり、かなりの人数分の血漿が結集しているそうだ。10回以上この治療をしたから、もしかすると、あなたの血漿も僕の血漿になっているかもしれない。

 この場を借りてお礼を申し上げます、その節はありがとうございました。

 西洋医学の治療のおかげか、康さん(編集部注/石井さんの仕事の先輩。鍼灸(しんきゅう)師をしながら東洋医学の研究をしている)の東洋医学の鍼治療のおかげか、小松さん(編集部注/石井さんのセラピスト師匠)がくれた謎のチベット僧のお守りのおかげか、ヨーダ(編集部注/気功師の先生)の気功のおかげか、お見舞いに来てくれた友人たちのおかげか、自分を愛せるようになったおかげか、はたまた、それらすべてのおかげなのか、僕の左目にはかすかな光が戻り始めていた。

 見えなくなったときのようにある朝起きたら突然、というのではなく、気づくといつの間にか、かすかな光をぼんやりと感じられるようになっていた、というくらいにゆっくりと。例えるなら、直島の地中美術館にある、ジェームズ・タレル(編集部注/アメリカ合衆国の現代美術家。光と空間を題材とした作品を主に制作している)の作品のようだった。

 真っ暗闇の状態と、かすかな光、その光によって浮かび上がる影を認識できる状態とでは、暗中模索と五里霧中ほどの違いがある。しかしこのときの僕は不思議と、それに対して歓喜することも、それによって自分を見失うこともなく、ただ静かに「あぁ、美しい世界だな」と、その様子を眺めていた。