祖父母と両親が自宅での
看取りを望んだ理由
私の祖父母と両親は、全員、自宅で最期を迎えている(戦争中に亡くなった母方の祖父は除く)。父も祖父も医者で、死に対して医療が無力であることをよく知っていたからだ。
死ぬときには、病院になど行っても何もいいことはない。
針を刺されたり、管を突っ込まれたり、冷たい台の上で放射線を浴びせられたり、果ては機械につながれて、無理やり息をさせられたりして、苦しい思いをするだけだとよくわきまえていたので、自宅で楽に死ぬ道を選んだのだ。家族も同じ気持ちで、迷うことも慌てることもなく、穏やかにそれぞれの最期を看取った。
激しい呼吸困難に苦しむとか、激痛に襲われるとか、吐血や喀血などに見舞われなかった幸運もあったが、それも余計な治療をせずに、自然な経過にまかせたことが役立ったのではないかと思う。
私は若いころは外科医として多くの患者さんを病院で看取り、後年、在宅医療の医者になって、在宅での看取りを経験したが、両者は比べるまでもなく、在宅での看取りが圧倒的に好ましいというのは、揺るぎない実感だ。
在宅(施設も含む)での看取りは、病院にさえ行かなければ確実に実行できるが、それがむずかしいと思う人も多い。死ぬときには何らかの医療が必要だという幻想に惑わされているからだ。
病院に行けば助かるのではないか、少しでも楽にしてもらえるのではないか、あるいは、どうしていいかわからない、このまま見ているのは不安などの気持ちから、早々に入院させたり、せっかく家で死にかけているのに、救急車を呼んだりしてしまう。施設の中には、家族からのクレームを恐れて、必要ないとわかっていながら、利用者の容態が悪化すると救急車を呼ぶところもあると聞く。
自宅で死ぬと警察が来るのではないかという不安もあるだろうが、これは在宅医療の医者にかかっていれば問題はない。仮に医者に看取られずに息を引き取っても、警察の世話になることもないし、死亡診断書も通常通り書いてもらえる。在宅医療をやっている医者は、地域の医師会か役所の担当部門に聞けば紹介してもらえる。