石破降ろしの延長線上に浮かぶ「衆院解散」、小泉元首相からの助言は、ワンイシューの大義名分9月2日午前、東京・永田町の自民党本部で、党役員会に臨む首相の石破茂(右)と幹事長の森山裕 Photo:JIJI

 自民党内の権力闘争が表面化すると、必ずと言っていいほどテレビで放送される場面がある。1979年11月、当時の首相、大平正芳の続投を巡る「40日抗争」の最中に起きた「ハマコー騒動」だ。大平に近かった浜田幸一は自民党の両院議員総会が開かれる予定だった党本部8階のロビー前に築かれたバリケードに使われた机や椅子を投げ飛ばしながらこう叫んだ。

「断っておくけどな、おまえらのためだけに自民党があるんじゃないぞ」

 大平は衆院解散を断行したものの敗北。前首相の福田赳夫が大平の退陣を求めて激しく対立した。双方とも譲らず衆院の首相指名選挙の場にまで持ち込まれた。このときの所属国会議員の勢力は、衆参両院を合わせると大平側が多数を占め、逆に衆院だけなら福田側が勝るという構図だった。

 そこで福田陣営が両院議員総会の開催を阻止するために築いたのが前代未聞のバリケードだった。浜田の大立ち回りは効果絶大。両院議員総会が開かれ、大平を首相候補とする党議決定が行われ、僅差で首相に再選された。

 46年を経て勃発した「石破降ろし」。参院選で大敗した首相、石破茂の退陣を求めてすでに40日以上が経過した。石破降ろしの局面、局面で流れを左右する一撃を放ってきたのが鈴木宗男だ。83年の衆院選で初当選直後から浜田の傍らで修業を積んだ。浜田と共に師事したのが実力幹事長の金丸信。金丸は茫洋とした人柄の一方で、一言で政治の流れを変える天性の才があった。