連立政権樹立の合意書を交わし、記者会見する自民党総裁の高市早苗(右)と日本維新の会代表の吉村洋文(10月20日午後、国会内) Photo:JIJI
7月の参院選の自公敗退から始まった「令和・夏の陣」は思いも寄らぬ出口にたどり着いた。自民党新総裁の「高市早苗首相」誕生と、それを支える政権基盤は自民党と日本維新の会という異色の組み合わせの登場だ。かつてはやったヒット曲の歌詞が頭に浮かぶ。
「ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて 迷い道くねくね」
確かに10月4日の総裁選は大方の予想に反して小泉進次郎が高市の後塵を拝した。そこから全てのシナリオが音を立てて崩れ落ちた。高市が断行した執行部人事が連鎖反応を引き起こしたからだ。石破降ろしの先頭に立っていた元首相の麻生太郎は副総裁。党員票の掘り起こしと議員票上積みの双方で貢献した旧安倍派議員も役職復活。中でも旧安倍派の元政調会長、萩生田光一は幹事長代行に登用された。幹事長には麻生の義弟、前総務会長の鈴木俊一を起用した。
公明嫌いの麻生主導の人事であることは一目瞭然。「麻生―萩生田」のラインが党運営の主軸といえる。この人事に公明党が反発しないはずがなかった。非主流派幹部は「公明党に喧嘩を売ったのも同然」と語った。「どこまでも付いていきますげたの雪」とやゆされた公明党も堪忍袋の緒が切れたのだろう。10月10日昼、公明党代表の斉藤鉄夫は高市との党首会談で通告した。
「連立政権はいったん白紙とし、関係に区切りを付けることにした」
温厚な斉藤による絶縁宣言だった。斉藤は長く自公の間で続いていた選挙協力についても解消を伝えた。
衆議院の場合、公明党の協力なくして当選がおぼつかない議員は30~50人はいる。自民党内に激震が走った。長年続いた公明の連立離脱が総裁選後に表面化した一番大きな「曲がり角」だった。政局の流れが一瞬にして蛇行を始めた。「公明党が離れるはずはない」(主流派幹部)と高をくくっていた高市周辺は顔面蒼白になった。14日の会合で高市は悲壮感をあらわにした。







