「初めて、自分で自分を褒めたいと思います」の理由

 厚い扉をひとつひとつ開けて、誰もが認める実績を積んでいった有森さんは、25歳の夏に、バルセロナ五輪で銀メダルに輝いた。レース終盤でワレンティナ・エゴロワ選手と繰り広げたデッドヒートは、いまでも語り継がれている。そして、有森さんがレースを終えて感じたのは、エゴロワ選手のように“強くなりたい”という思いだった。「さぁ、次だ!ここからもっと強くなってやる!」──そんな気持ちで意気揚々と帰国したのだが……。

有森 次の挑戦に向けて新たなトレーニングを採り入れたら、「有森は天狗になった」「女王様気取り」といった声が聞こえてきました。また、記録の対価を求めたことで、「アマチュアリズムに則るべき」という批判も受けました。“メダリスト”といっても、名誉だけで食べていくことはできません。メダルの輝きを糧に生きていく手段がなければ、オリンピックの出場を目指すアスリートはいなくなります。現状に危機感を抱いた私は、アスリートたちが経済的に生きていける道をつくるために、メダルをもう一度獲って、発言力と影響力を手に入れようと決意しました。当時は、そうするしか方法がなかったのです。

 奮起した有森さんだったが、バルセロナでのメダル獲得以降、故障で走れない毎日が続き、「復活は無理」という声が周囲で飛び交うようになった。自死を考えるほどに追い詰められたと振り返るが、アトランタ五輪で、二つ目のメダルとなる銅メダルを見事に手にした。

「初めて、自分で自分を褒めたいと思います」──ゴール直後のインタビューで語った、有森さんの言葉は、当時の流行語になるほどで、そのシーンを記憶している人も多いだろう。

有森 「自分を褒める」というフレーズを、私が初めて耳にしたのは高校時代です。全国都道府県対抗女子駅伝競走大会の開会式で、フォークシンガーの故高石ともやさんが「補欠の皆さんも含めて、代表に選ばれた自分を褒めましょう」とおっしゃったのです。とてもではないけれど、自分を褒められる状況になかった私は、その言い回しに実感がわきませんでした。でも、アトランタでメダルを獲ったときに、その言葉が私の頭にふっと浮かび上がったのです。バルセロナから4年の歳月で起こったすべての出来事に対して、私は、「自分で自分を褒めたい」気持ちでいっぱいでした。

アトランタで再びメダルを獲った直後、必死に食らいついた4年間を思い、ふと頭に浮かんできたのが「自分で自分を褒めたい」だった。