役職の重責から解放され
挑戦も発言も自由にできる

 大きくやる気が失われた一方、重責から解放され挑戦や発言しやすくなった、優しい気持ちを言葉にしやすくなったといった回答も見られ、役職者として担う責任の重圧や、それゆえの張り合いの大きさ、それらから解放されて生まれる余裕や空白の大きさがうかがわれる。

 この結果を見ていて感じるのは、ポストオフによって失うものを受け止めると同時に、ポストオフによって得るものに光を当てる重要性である。

 役職を外されても、自身のすべてを失うわけではない。会社員としては、さまざまなことを失い、否定されたというコメントもあったが、ポストオフは単にポストの数が有限であることなど組織上の都合によるものがほとんどだ。

 また、ポストオフになった原因は何なのだろうかと逡巡してしまう心境になるのも致し方ないことではあるが、第一線にとどまっている同世代の人もいずれは必ずポストオフされるのである。

 その人が並外れて優秀だというのではなく、たまたまそのポストに替わる人材がいなかったというケースがほとんどであって、ポストオフの対象となった従業員の人格が否定された結果ではないのである。そう考えれば、ポストオフになる時期に差があったとしても、その差異は2年早いか、3年早いかといったわずかな時間的な差にすぎない。

 失ったものもあるけれど、それと同様に得たものもある。そう感じられるようになった瞬間には、もうポストオフ後のトランジションは成立していると考えてよいのではないか。

 当初は失ったものばかりが見えてしまうが、新しい職務や現場仕事へのチャレンジ、時間的・精神的な余裕、重責からの解放などによって、得たものもあることに次第に気づけるはずである。

 ポストオフされた瞬間に「いずれ必ず来るものだとわかっていた。これからは違う角度で仕事や私生活を楽しもう」と、すぐに考え方を切り替えられる人は少ないだろう。ポストオフになった人同士で飲みに行って話したりすれば、会社や上司の悪口のオンパレードになることもあるかもしれない。