芸人生活で、滝沢さんが後輩に伝えたいこと
滝沢さんは、“お笑い”と“ゴミ清掃”というふたつの仕事に加え、子育てでも多忙な毎日を過ごしてきた。感情を閉ざし、ロボットのように動いていた時期もあったという。子どもの送り迎えをしながら、仕事に向き合い、漫才のネタを考える時間もなく、「体力的にもメンタル的にもしんどくて、自分がもう一人いてほしかった」と当時を振り返る。
滝沢 僕は、“お笑い”のパフォーマンスとプライベートの時間はつながっていると思っています。だから、“お笑い”でマイナスになることはできるだけ避けたい。普段から悲壮な顔をしていると、舞台の上で“笑い”をつくれないので、ある時期は感情を押し殺していました。いっそ、ロボットになりたい、と。感情のない、ゴミを回収するだけのロボットに。でも、生活や仕事には、「驚き」や「発見」が必要で、「驚き」は感情の起伏から生まれる。親は、子どもが成長する「驚き」や「発見」で子育てが楽しくなるように、感情の起伏は生きるうえでも、仕事を続けるうえでも欠かせないものだと思います。
お笑い芸人とゴミ清掃員という2つの仕事を続けている滝沢さん。いまでは、子どもたちは、父親の仕事を理解できるくらいに成長した。そして、2023年に行われた「THE SECOND〜漫才トーナメント〜」で、滝沢さんと西堀さんの「マシンガンズ」は準優勝に輝いた。
滝沢 「THE SECOND」がきっかけで、単独ライブを行(おこな)ったのですが、実は、単独ライブの開催はそのときが初めてで、僕の家族も観に来ました。子どもたちは、すごく感動したようです。マシンガンズは大声を張り上げる芸風なので、声が嗄れてしまわないように、幕間を長くしたり、叫ばないネタを入れてみたり、いろいろ試しました。おもしろかったですね。「あぁ、これが芸人の充実した時間なんだ」と。「THE SECOND」での準優勝で、人生が劇的に変わりました。
それから、「THE SECOND」で、“芸人の寿命を年齢で考えてはいけない”ということがわかりました。一昔前は、ベテランになって、お笑い芸人で食えなければ、芸人を辞めざるを得ないという風潮がありました。結婚して、子どもが生まれて、生計を立てるために別の仕事に就く、という。アルバイトしていることを内緒にするように、お笑い以外でお金を得るのが恥ずかしい空気があったのですが、僕は、その空気を壊したかった。小説(*2)を出したときも批判がありました。「芸人は芸だけをやるべきだ」と。しかし、いまでも、僕は、ゴミ清掃の仕事をしながら、お笑いの仕事を続けています。そうしたスタイルが可能なことを後輩たちに伝えたいですね。
*2 滝沢秀一著『かごめかごめ』(2014年3月/双葉社刊)








