分裂連鎖反応持続が実験的に確かめられないかぎり、原子爆弾の設計が難しいことは明らかである。フェルミ、シラード、ハイゼンベルクらが大戦中に必死になって研究した、減速材をともなうこの核分裂連鎖反応持続装置は、戦後に登場する原子炉の原型となったのである。

グラファイトよりも優れた
減速材であった重水を用いる

 コロンビア大学では減速材にグラファイト(炭素)を用いたが、ノルウェーのノルスク・ハイドロ重水生産工場から重水(編集部注/質量数の大きい同位体の水分子を多く含み、通常の水より比重の大きい水のこと)が入手できたことから、ドイツは当初から減速材に重水を用いた。減速効果に関しては、重水のほうがグラファイトよりも優れている。

 ちなみに、100万電子ボルトのエネルギーを持つ高速中性子を熱中性子のエネルギー(0.03電子ボルト前後)にまで減速させるのに、グラファイトの場合には中性子と減速材の平均衝突回数が114回であるのに対し、重水の場合は23回で済む。

 ハイゼンベルクが、この連鎖反応持続装置(原子炉)そのものが原子爆弾になりうると本気で考えたのかどうかは定かではない。しかし、今述べたように、減速材に重水を使えば、高速二次中性子に対する減速効果が大きい。減速材とのより少ない衝突回数で熱中性子になるので、中性子は時間的にそれだけ早く熱中性子になることを示している。

 したがって、世代と世代の時間間隔がより短く、連鎖反応がそれだけ早く広がることになる。この状態でもし、1回の核分裂あたりに放出される二次中性子のうち、少なくとも2個が連鎖反応に寄与し、さらに天然ウランの量が臨界質量を越えているなら、連鎖反応は急速に進行し、短時間のうちに多量の分裂エネルギーが放出されることになる。

 しかし、1940~1941年の時点では、エネルギーが一挙に爆発的に放出されるかどうかについて、ハイゼンベルクのみならず、誰一人としてハッキリとした見解を持ってはいなかったのである。そのおもな原因は、なんといってもデータ不足である(もっとも、さまざまなデータを取得すること自体が、この連鎖反応持続装置の目的でもあったのだが)。

 結局、1942年の時点で、アメリカは減速材としては不利なほうのグラファイトを使って連鎖反応を成功させたが、ドイツは減速材として有利なほうの重水を用いながらも連鎖反応成功までにはいたらなかったのである。