ドイツが連鎖反応実験に
失敗した理由とは?
ドイツの連鎖反応実験が失敗した理由として、いくつかの原因が挙げられる。
連鎖反応装置の設計には、原子核の分裂確率などの細かいデータが必要である。アメリカが、アーネスト・ローレンス(編集部注/アーネスト・オーランド・ローレンス―Ernest Orlando Lawrence。1901年8月8日~1958年8月27日。アメリカの物理学者)が発明した荷電粒子加速装置(サイクロトロン)を駆使して各種のデータを得ているのに対し、ドイツのほうは、どういうわけかアメリカで見るようなサイクロトロンを建設していなかったのである(註:日本では、仁科芳雄がいち早くサイクロトロンを取り入れて核の分裂確率を測定しているが、原子炉の開発には手を出さなかったようである)。
アメリカの連鎖反応装置には「制御棒」(編集部注/原子炉の出力を制御するための棒状または板状の物体)がついていて、連鎖反応を制御することができたが、ドイツの装置はこれといった制御装置を設けていなかった。
ドイツの失敗の最も致命的な理由として、データ不足のために臨界質量(編集部注/原子核分裂の連鎖反応が持続する核分裂物質の最少の質量)がわからなかったことに加え、戦争末期に天然ウランと重水が容易に手に入らなくなってしまった点が挙げられる。
後者の原因は、連合国側(特にイギリス軍)がノルウェーのノルスク・ハイドロ重水生産工場を爆撃したり、重水を運搬するドイツの輸送船を爆破したりしたためである。重水生産工場や重水を搭載した輸送船の爆破計画とその実行においては、イギリスの秘密工作員たちが関与しており、映画のジェームズ・ボンド=007を地で行く、生死を賭けた活躍をしたのである。
ウラン濃縮装置の開発に
着手しなかったドイツ
ドイツの原子爆弾開発に関して不可解なことは、アイソトープ分離装置(編集部注/同位体分離装置:同じ元素でありながら質量数が異なる原子を分離するための装置。放射性同位体を研究・利用する際に不可欠な技術)がドイツで考案されたにもかかわらず、技術的困難がともなってコストがかさみすぎるという理由から、ウラン235を天然ウランから分離するウラン濃縮装置の開発に、当初から手を着けなかったことである。







