平均年齢26歳で遂行された
「マンハッタン計画」

 マンハッタン計画で指導的な役割を果たした科学者たちの多くは、ナチス・ドイツの手から逃れて、ヨーロッパからアメリカへと渡ってきたユダヤ人たちであった。原子爆弾の開発研究およびその製造がおこなわれたのは、ニューメキシコ州に現在でも存在するロス・アラモス国立研究所である。

 マンハッタン計画に携わった人たちの平均年齢は、なんと26歳であった。この平均年齢には、秘書や事務方、軍人など、原子爆弾の開発研究に直接携わっていない人たちの年齢は含まれていない。平均年齢26歳ということは、26歳以下の人たちもかなりいたことになり、いまだ学業なかばの大学院生も含まれていた。豊富な知識よりも、創造力を要求されたからであろう。

 ドイツの原子爆弾開発には謎がある。当時のドイツには、英雄的な存在であったノーベル物理学賞受賞者ヴェルナー・ハイゼンベルクがいた。ハイゼンベルクは23歳で博士号を取得し、わずか31歳でノーベル賞を受賞した俊英である。

 ドイツ軍部は、ポーランドに侵攻した1939年頃に原子爆弾の開発に乗り出しているが、開発研究の陣頭指揮を執ったのが、生粋のドイツ人であるハイゼンベルクである。

ハイゼンベルクが
抱えていた葛藤とは

「謎」と言ったのは、ハイゼンベルク自身の心理状態である。原子爆弾開発に乗り出してからのハイゼンベルクは、かなり悩んでいたようである。原子爆弾の開発には、かなり多くの技術的な難題が山積しており、膨大な費用がかかることが容易に予想されたからである。

 戦争が進行していくにつれ、ハイゼンベルクは原子爆弾をこの戦争中に完成させることは無理だと悟ったようである。戦争中における物資の消耗度は想像以上に激しい。そんな状態のもとで、いかにして原子爆弾を開発できるというのか。