これは筆者の想像だが、ハイゼンベルクはおそらく、初めから核分裂連鎖反応の軍事利用をまったく考えていなかったのではあるまいか。
ハイゼンベルク自身、原子爆弾の製造にはウラン235が必要であることは熟知していたし、天然ウランから大量のウラン235を分離・精製するのが至難の業であることもよく理解していた。ドイツは終始、濃縮ウランを作るウラン濃縮装置の開発に手を出していない。
戦争終結前に原子爆弾を製造することが不可能なら、原子爆弾製造に携わる労力と時間、そして費用はまったくの無駄となってしまう。それよりも、より実用的である原子力の動力への応用研究にエネルギーを注いだほうがもっと国益につながると考えていたのではないだろうか?
実はアメリカの大学からも
声をかけられていた
ドイツは、ノルウェーから手に入れた重水(編集部注/質量数の大きい同位体の水分子を多く含み、通常の水より比重の大きい水のこと)を中性子減速材(編集部注/核分裂後に放出される中性子の速度を下げる役割を果たすもの)として用い、天然ウランを使っての連鎖反応の実験を繰り返すことになる。
『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(山田克哉、講談社ブルーバックス)
一方、ハイゼンベルクはアメリカの原子爆弾開発を薄々感じとってはいたが、ドイツにできないことがアメリカにできるはずがないと思っていたのだろうか?ハイゼンベルク夫人はのちに、「夫はすでに優秀なユダヤ人科学者たちがアメリカに渡っていることを知っていましたし、物資豊かなアメリカなら原子爆弾も戦争終結前に実現する可能性もあるかもしれないと言って、アメリカの原子爆弾開発を戦時中かなり懸念していました」と述懐している。
アメリカ講演旅行の際、ハイゼンベルクはコロンビア大学やシカゴ大学等のさまざまな大学から「アメリカに永住して、うちの大学に来ないか」と声をかけられた。
しかし彼は、「私の祖国はドイツであり、ドイツは私を待っている」と言って、すべての誘いを断っている。







