次郎の言い分は、東北電力が一番開発しているし、もっとも早くできる。東京電力などに任せていたら、いつまでたっても電力供給などできない。電力供給は日本の産業開発の基礎であるから、少しでも早く進めるべきだということだ。次郎はこうも言う。
『知れば知るほど泣ける白洲次郎』(別冊宝島編集部、宝島社)
「成る程○○電力は全力を挙げて電源開発問題と取り組んでいるということを一般大衆が納得した時に始めて一人前に口がきけるので、紙の色が変わった様な古証文を振り回した処で関心を持つのは弁護士だけで国民はそんな笛ではおどらない。国民の納得しないことで国民の支持なくて、どうしようたってそれは駄目だ。そんな時代はとっくに過ぎた」(同上)
次郎節炸裂である。権利書を「古証文」と言い放ち、開発しないなら、さっさと手を引けと強引ともとれる物言いである。
しかし、それが真実だった。国民が望むのは少しでも早く産業や家庭生活の基礎である電力を供給してもらうことであった。「そんなこともわからないのか!」。次郎はそう叫びたかった。国民の困窮を誰よりも感じる次郎には復興のために休んでいる暇などなかった。
結局、只見川電源開発の裁判は東北電力の勝利で終わった。次郎は東北電力の会長として、日々駆け回ることになる。







