だが、小売店に営業をかけてもつれない反応。停電がたびたび起きる街では、冷蔵庫で商品を冷やしておくことも難しかった。冷蔵物流も未発達で、自社で確立するしかなかった。
新型コロナウイルス蔓延で
窮地に立たされる
07年に、首都近郊でヤクルトの工場の建設が始まった。
完成予定時期の直前まで、火花をあげて工事が続く。工場長の岩間知行さん(58)が「間に合うのか」と心配しても、建設労働者の3分の2は昼になると日陰で休憩してしまう。後になって、時に45度を超える夏場を乗り切る、知恵と習慣だと知った。
都市部で無料サンプルを配り、腸内環境などを改善する「乳酸菌シロタ株」の機能の説明を繰り返した。日本とおなじようにヤクルトレディも採用し、現地の家庭の事情をよく知る彼女たちの営業力に頼った。
天野さんは13年にいったんインドを離れたが、販売本数は1日20万本を超え、拠点数も拡大した。カロリー控えめの「ヤクルトライト」を発売した時は、健康的なイメージが強いボリウッド映画の人気俳優をCMで起用するなど、知名度アップも図った。
さあこれからという時に、新型コロナウイルスが襲った。外出禁止令が続いて経済が停滞し、日々の食費や生活必需品の支払いを優先する家庭が増え、ヤクルトの販売数は落ち込んだ。
「このままではまずい」。23年3月、インドに現地社長として戻った天野さんは、「起爆剤」を求め、同僚たちと新商品の開発に着手した。社内では「あくまでオリジナルの味にこだわるべきだ」との意見もあった。
開発費をつぎ込んで製造コストを上げることも難しかった。ただ、進出から20年近く経ち、現場から上がっていた「味に飽きた」「別の種類が欲しい」といった顧客の声を大事にすべきだと考えた。
インド人が好む風味って何だろう。会議では「マサラを入れては?」という声も冗談交じりであがった。最終的に、インドが世界一の生産量を誇り、国内に1000種類以上もあると言われるマンゴーに的を絞った。







