パレスチナ内部の文脈では、それまでイスラエルと対峙してきたパレスチナ解放機構(PLO)がイスラエルによる占領という現実を変えられないなかで支持を失っていき、その代替勢力として人気を博していったと言える。

 以後、ハマスは社会福祉活動と並行して政治部門や軍事部門を発展させていく。

 ハマスは自爆テロでイスラエルを攻撃する一方、2006年1月のパレスチナ評議会(議会)選挙で全132議席のうち74議席を獲得。ヤシンの側近だったイスマイル・ハニヤ(2024年7月にイスラエル軍により殺害)がパレスチナ自治政府首相に就任した。

 イスラエルや欧米諸国はハマス中心の政権を認めず、ハマスに対しイスラエルの承認や暴力的手段の放棄を要求する。パレスチナ政治は混乱に陥り、パレスチナ自治政府議長マハムード・アッバスはハニヤを解任した。

 アッバスが議長を務めるファタハとハマスは武力衝突し、ハマスは2007年6月、ガザ地区を軍事制圧する。

 以後、パレスチナはアッバスのファタハが統治するヨルダン川西岸とハマスが実効支配するガザ地区に政治的にも地理的にも分断される。

2つに分断させておけば
パレスチナは独立できない

 イスラエル政府高官は筆者に「ナチス・ドイツは合法的な手段で政権を獲得しユダヤ人を絶滅しようとした。ハマスはイスラエル殲滅を掲げており、民主的に選ばれたとしても正当性を認めるべきではなく、圧力をかけてハニヤを退陣させたのは正しかった」と説明した。

 ただ、合法的に選出された政権を「敵対勢力だから」という理由で承認せず、支援の打ち切りや制裁の発動で相手を追い込む方法が本当に適切なのか。イスラエルはともかく、欧米諸国は常に「民主主義の普遍性」を訴えるだけに、疑問が残る。

 肝心のイスラエルはその後も有形無形を問わず、ハマス支援を継続した。

 イスラエルメディア「イディオト・アハロノト」によると、カタール政府が2007年以降、国際的な監視の目を盗んでハマスに資金提供していたほか、2014年以降は米イスラエル両政府との協調のもとでガザ地区に毎月3000万ドルの資金提供を続けたのである。