このような思想が世に広まったのは2000年代で、フランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュらが、「豊かな国では、経済が成長しても人間の幸福度は上がらない」と主張し、「少ないことは豊かである(less is more)」といったキャッチフレーズを展開したことに端を発する。ラトゥーシュの主張は、おおよそ次のようなものだ。
先進国には十分なモノがあふれているため、これ以上の成長を求めても、競争が激しくなるだけでメリットはない。資本主義はすでに限界を迎え、人々の幸福をむしろ下げはじめているのだから、今後は物質的な豊かさよりも、人間関係や生活の質を重視すべきだ――。
この言葉に説得力を感じる人は少なくないだろう。たしかに、私たちの多くはすでに生活に必要なモノを持っており、新しい家電を買ったところで生活が劇的に変わるわけではなく、ネット上にあふれるコンテンツは一生かけても見切れないレベルだ。それならば、無闇に新しいものを追い求めるのをやめ、現状維持を貫いたほうが幸せなようにも思えてくる。
スローライフやミニマリズムといったライフスタイルが注目されるのも、こうした価値観の広がりを反映しているのかもしれない。
経済成長の本質とは何か?
「成長会計」の手法から読み解く
それでは私たちは、本当に成長の止まった世界を目指すべきなのだろうか。成長さえ手放せば、豊かな社会は実現するのだろうか。その答えを探るために、いったん大事な“問い”について考えてみよう。それは、「経済成長とは何か?」というものだ。
私たちは「経済が成長している」といったフレーズを当たり前のように使うが、よく考えてみると、そこで何が起きているのかを理解するのは意外と難しい。「GDPの成長率」などと言われても、それはどこまでも抽象的な数字でしかなく、普段の暮らしとどう関わっているかは実感しづらいはずだ。脱成長について考えたいのなら、まずはその“成長”が意味するところを、具体的に理解する必要がある。







