私たちが、小さな工夫にそこまでの快楽を覚える理由はほかでもない。小さな達成感に強く反応する脳を持つほうが、原始時代の環境を生き抜く確率が上がったからだ。
人類の祖先が進化した森やサバンナは常に不安定で、それまで安全だった洞窟を猛獣に荒らされたり、よい狩り場を別の集団に奪われたりと、いつ何が起こるかわからない環境だった。そんな不確実な世界を生き抜くには、大きな変化を起こして劇的な改善を狙うよりも、小さな改良を積み重ねたほうが生存の確率は上がるし、失敗のリスクも抑えられたに違いない。
この進化的な背景が、私たちに「小さな改善」に喜びを感じる心理を定着させた。つまり進化の圧力は、大きな賭けに勝ち続けるよりも、小さな工夫で確実に前進するほうを選んだわけだ。
旧ソ連の末路が典型例
創意工夫をやめてはいけない
人間は工夫を楽しむ生き物であり、その総和が経済成長である。
こう考えてみると、私たちは“脱成長”のスローガンに、そう簡単には賛成できなくなるだろう。その理由は2つだ。
1.脱成長は、人間の根本的な欲求を奪う
2.脱成長は、不要な人間を作り出す
まず第一に、脱成長は、人間の根本的な欲求を奪う。
先に見たとおり、私たちは小さな改善に大きな喜びを抱き、その感覚を求めて日々の工夫を続ける生き物だ。無駄な会議を減らしたり、企画書の文章を洗練させたりといった小さな改善は、少ないながらも確実に新たな価値を生む。そして、この積み重ねが経済成長につながっていく。
ところが、脱成長を無理に実現させると、人間が工夫を凝らす場がなくなってしまう。経済の成長を止めて現状維持を優先させた社会では、新しい商品やサービスの生産を減らさねばならず、そのせいで変化や改善が敬遠されやすくなるからだ。そんな状態で暮らせば、社会から活力が失われるのは明らかだろう。
旧ソ連がよい例だ。共産党政権下のソ連が、創意工夫やイノベーションを歓迎しない社会だったのは有名だろう。
『社会は、静かにあなたを「呪う」 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体』(鈴木祐、小学館クリエイティブ)
ソ連における“仕事”は、作業の手段と目標をすべて上層部が決めていたため、新しいアイデアで効率を上げるよりも、決められたノルマを忠実に達成することが求められた。創意工夫をした者は周囲から迷惑がられ、時には逮捕されることすらあったというから徹底している。
もちろん、これは「意図的に脱成長を目指した」というよりも、「成長を維持できず、結果として現状維持に陥った」と言うほうが正確だが、人間から工夫を奪った社会がどうなるのかを示すサンプルとしては有用だろう。
そんな働き方が続けば、ほどなく労働者のメンタルは蝕まれる。1980年代の旧ソ連における離職率は年に約20%を超え、これは同時期のアメリカの5倍に相当する。高い欠勤率とアルコール依存症の蔓延も深刻で、自殺率は人口10万人あたり20.6人にも達した。その悪影響は長く続き、ロシア革命が起きた1917年から2010年までの間に世界で生まれた重要なイノベーション111件のうち、旧ソ連で生まれたのは合成ゴムの1件しかない。







