立憲民主党を創設した枝野幸男や
NHK元会長の島桂次も

 政治家では、立憲民主党の創設者で代表(2017年9月~21年11月)を務めた枝野幸男(ゆきお)がいる。宇都宮高校を経て東北大に進学し、24歳で司法試験に合格した。高校時代は合唱団の団長をしていた。1993年の衆院選に初当選し、当選回数は11回。

 民主党内閣時代に内閣官房長官を務め、2011年3月の東日本大震災・福島原発事故の際、スポークスマンとして日に何度もテレビに登場した。21年の衆院選で政権交代を果たせなかったため、21年11月に立憲民主党代表を辞任した。

 船田ファミリーが著名だ。衆院議長をした船田中(なか)、次兄のローマ法学者で衆院議員をした船田享二、末弟で衆院副議長をした藤枝泉介の「船田三兄弟」、それに船田中の長男で栃木県知事をした船田譲、その長男の衆院議員船田元(はじめ)は、そろって旧制・新制の宇都宮高校出身だ。いずれも自民党所属だった。

 船田元は39歳1ヵ月の若さで入閣(経済企画庁長官)し、「政界のプリンス」として将来が嘱望されていたが、「政界失楽園」と揶揄される再婚問題が影響してか、衆院選で2度にわたり落選した。12年12月の総選挙で当選を果たし、三たび国政に復帰した。24年10月の衆院選で14回目の当選を果たした。学校法人作新学院の学院長だ。

 西川公也は自民党所属の衆院議員を6期務めた。農水相などを務め、自民党農林族の「族議員」として活動した。

「官」では、通産事務次官のあと電源開発総裁を務めた両角(もろずみ)良彦がいた。旧制宇都宮中学に入学したが、東京府立第六中学(現都立新宿高校)に移り、卒業した。ナポレオン研究者としての著作もあり、1981年には日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

 通産官僚出身の今井尚哉(たかや)は、安倍政権で内閣総理大臣政務秘書官兼補佐官を務めた。首相官邸の仕切り役で、安倍首相の懐刀になった。2025年10月にスタートした高市内閣でも、内閣官房参与(特命担当)に起用された。

 農林水産事務次官をした渡辺文雄は、退官後に4期16年間、栃木県知事を務めた。

 島桂次はNHKの政治記者出身で、1989年4月に会長に就任した。しかし、永田町(政界)やNHK内部の権力闘争に巻き込まれ、91年7月に会長を辞任した。

 安藤輝三は旧制宇都宮中学から陸軍士官学校に進み、皇道派の一員になった。1936年の二・二六事件に決起し、鈴木貫太郎侍従長(のちに首相、群馬県立前橋中学・現前橋高校卒)襲撃に加わった。反乱罪で処刑された。

 荒井退造は苦学力行した警察官で、1943年に沖縄県警察部長に就任した。45年6月、沖縄県知事と共に米軍からの県民の避難・保護に尽力し、20万人の命を救ったとされる。