経済界やスポーツ分野にも
人材を輩出

 経済界では、三菱銀行の頭取をするなど三菱財閥の実力者として活躍した加藤武男、日清紡社長となり財界人としても活躍した宮島清次郎が卒業生だ。

 中部電力の社長をした横山通夫は、日本ラグビーフットボール協会会長を務めた。

 東燃ゼネラル石油社長の後、JXTGホールディングス副社長になった武藤潤もOBだ。

 深川宏樹は2018年に、コンピューターソフトの企画開発を手掛けるベンチャー企業・DeepFlowを創業し、社長だ。

 CSR(企業の社会的責任)などのコンサルタント会社・イースクエアの共同創業者であるデンマーク生まれのピーター・D・ピーダーセンは、宇都宮高校での留学経験がある。ピーダーセンは、健康と環境を志向するライフスタイル「LOHAS(ロハス)」の考え方を日本に初めて紹介した人物だ。

「学習習慣と部活動との両立を図る」ことが進路指導のキモになっており、部活動が活発だ。

 野球部は1924年に、第10回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会に相当)に出場して栃木県代表として初勝利を挙げ、ベスト8の成績を収めている。

 卒業生ではないが、木版画家の川上澄生(すみお)(旧制東京・私立青山学院中等部卒)は宇都宮中学で24年間、英語教師をしていた。野球部の副部長でもあり、24年には全国中等学校優勝野球大会に出場するため、甲子園球場まで野球部選手を引率した。

 2人が野球殿堂入りしている。一人は学生野球の指導者だった青井鉞男で、「base ball」の日本語訳を「野球」とした起源の一人と認定されている。もう一人は朝鮮銀行副総裁を務めた君島一郎で、「日本野球創生記」などの著作が評価された。

 かつては、サッカーが強かった。全国高校蹴球選手権大会(現全国高校サッカー選手権大会)で1949年に準優勝、翌50年に優勝した。小沢通宏と岩淵功は同級生で、その時のサッカー選手として活躍し、のちに日本代表にもなった。

 サッカー審判員の吉田寿光はJリーグ優秀主審賞を獲得、国際試合でも主審をしている。

 1978年生まれの宮地直樹は、日本クリケット協会(栃木県佐野市)の事務局長だ。慶応大に進学し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院に留学しクリケット選手になった。12年にスコットランド議会は、日本でクリケットの普及活動に功績があったとして、宮地をたたえる動議を可決した。(敬称略)

(フリージャーナリスト 猪熊建夫)