その号泣の様子が、テレビに映し出されていましたが、彼の様子を見ているうちに、私は、時代が変わってきているのをひしひしと感じました。男女差が解消されつつある現在では、男性が人前で声をあげて泣いてもあまりとがめられない時代に突入しつつあると。
実は、63年前の1962年に亡くなった著名な民俗学者・柳田國男は、こう言っていたのです。
「男は泣くものではない」という教訓があったのも、女ならば大人でも泣くべしと、承認していたことを意味する。(「涕泣史談」『遠野物語』集英社文庫所収)
ほんの少し前の多くの日本人の認識が、柳田國男のこの言葉に代表されています。男性が人前で泣くのはよくない、女性なら人前で泣いて弱さをアピールしなさいという認識です。その認識が20世紀の終わり頃から変化し始めているのです。
男女の涙の価値観の変化を
擬音語から明らかにする
とすると、柳田の発言に代表されるような、男が人前で泣くのは見苦しいという認識は、一体いつ頃生まれたのか?その認識は、歴史を遡っていくと、どの時代にたどりつくのか?一方、女は、声を出して泣くのがかわいらしくて良いという、少し前の認識は、いつの時代に生まれたのか?また、歴史を遡っていった時に、男のほうが人前で声をあげて泣くのが良いという、現代とは逆の認識の通用していた時代は、ないのか?
こうしたことを、泣く声を写す擬音語から解き明かしてみたいという思いがふつふつと湧き出したのです。でも、日本人の泣き声や泣く様子を写すオノマトペの歴史、そこからうかがえる時代の認識などを問題にした人はいないので、すべて自力で調査です。ですから、調査の及ばない点もありますが、実に面白いことが明らかになってきました。
なお、すでに述べたように、現在では、泣き方についての認識が変化しつつありますが、どちらの方向に進むのか判然としません。そこで、ここでは、変化の兆しを見せ始める前の1990年頃までを「現代」として扱います。「現代」の始まりは、明治時代からです。
人の泣く姿は、「おんおん」「わっ」などの泣く声を写す「擬音語」で表わすこともあれば、「ほろほろ」「はらはら」などの泣く様子を写す「擬態語」で表わすこともあります。







