「擬音語」のほうが、周りに訴えかける度合いが大きい。なにしろ、泣き声をあげるのですから、周囲の人間に聞こえます。それに対して、「擬態語」のほうは、声をあげずに涙をこぼすだけの泣き方なのでひそやかであり、他者への訴えかけは極めて弱い。近くに人がいなければ、泣いていることすら人に知られることはありません。

 こんなふうに、まずは頭で考えます。ところが、実際に調べてみると、涙も泣き声に拮抗する別の力を持っています。

男と女の泣き方は同じ?
明治時代の男女の泣き方

 ここでは、まず泣き声を写す「擬音語」に焦点をあてて、そこから浮かび上がる時代の認識を明らかにします。

「おんおん」「わっ」などの泣き声を写す「擬音語」が、肯定的な文脈で出現すれば、その時代は、声をあげて泣くことが許されていることを示していますね。その泣き声をあげているのが男性であれば、男が声をあげて泣くことが認められている時代だということが分かります。泣き声をあげるのは、周りの人間の耳目をひくので、時代の認識が現れやすいのです。

 また、ここで焦点を当てているのは、大人の泣く姿です。赤ん坊や幼児の泣き声や泣く様子は除きます。赤ん坊や幼児は、生理的現象によって泣くことが多く、大人と違って社会の認識に従って行動するわけではないからです。

 では、明治時代以降の「現代」の男女の泣き方を押さえていくことから、出発です。

 明治39年(1906年)の、伊藤左千夫の『野菊の墓』(注1)に、まず注目します。何回も映画化されていますので、ご存じの方も多いでしょう。

 この作品は、政夫と民子という2人の純粋で一途な恋愛が、親に引き裂かれて悲劇に終わる切ない小説。ですから、男女の泣く姿がよく出てきます。

『野菊の墓』で、泣き声を写す擬音語は、「おいおいおいおい」「すくすく」「ワッ」の3種類です。すべて、女性の泣き声です。

 一方、男性の泣き声を写す擬音語は全く出現しません。男は、声をたてて泣いていないのです!

(注1)伊藤左千夫『野菊の墓』(現代日本文学大系10『正岡子規・伊藤左千夫・長塚節集』筑摩書房