蘆原英了は音楽・舞踊評論家、岡村喬生は声楽家でテレビ番組の司会などでも活躍した。

 バイオリン奏者の池田菊衛は、開成高校を経て桐朋学園大に進み、ジュリアード音楽院に留学した。

 指揮者の梅田俊明は桐朋学園大に進み、ウィーン国立音楽大に留学し、仙台フィルハーモニーなどを指揮している。

 乙骨三郎は、明治から昭和初期にかけての作詞家・音楽教育者だ。

「世界のニナガワ」と呼ばれた
演出家の蜷川幸雄

 演劇では、演出家・映画監督の蜷川幸雄が10年に文化勲章を受章している。エネルギーにあふれ、16年5月に死去(80歳)する寸前まで演劇の最前線で挑戦し続けた、あの「世界のニナガワ」だ。

 開成高校卒後、蜷川は東京芸大を受験するが失敗、劇団青俳に入団した。現代劇からギリシャ悲劇、シェークスピアなど海外の古典・近代劇に至るまで多岐にわたって、演出家として腕を振るった。彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督、桐朋学園芸術短期大学長などを歴任した。長女は写真家の蜷川実花(桐朋女子高校卒)だ。

 滝沢修は、宇野重吉(旧制福井県立福井中学・現藤島高校)らと劇団民藝を創設し、日本の新劇を代表する俳優となった。舞台の代表作に『炎の人』『セールスマンの死』など。旧制開成中学卒だ。

 新国劇創設者の沢田正二郎も、旧制時代のOBだ。大正から昭和初期にかけて活躍した大衆演劇の人気役者だった。ただ1929年に36歳で死去しており、活動期間は十数年と短かった。

 鴨下信一はTBSプロデューサー出身で、『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』などの演出で知られた。東大文学部美学科卒だ。

 演出家の村山知義、佐野碩、さらには俳優の中村伸郎もOBだ。

 バレーダンサーの鷲見雄馬(11年卒)は、東京芸大を中退し、ポルトガル、オランダなどで修行した。14年からジョージア(旧グルジア)国立バレエ団で活躍し、帰国後はフリーとして活動している。

 美術では、明治から大正にかけて活躍した洋画家の黒田清輝が、共立学校に通っていた。東京美術学校教授や帝国美術院院長などを歴任した。『裸体婦人像』が1901年に警察によりとがめられ、絵の下半分が布で覆われる「腰巻事件」が起きた。

 造形作家・建築家の川上喜三郎が活躍中だ。ロンドンと日本を拠点に建築、公共空間への彫刻作品を制作している。王立英国空軍博物館など英国と日本に、多くのモニュメント作品がある。王立英国建築家協会会員で、ロンドン開成会会長だ。

 小倉薫雄は建築家だが、ジャズギター奏者、書道家としても第一級の腕を持っている。また東京白金ロータリークラブで、留学生支援などのボランティア活動もしている。

 新進のビジュアルアートでは、大岩雄典(ゆうすけ)の活躍が目立つ。開成高校3年時の11年の日展の洋画部門で、史上最年少で入賞している。東京芸大に進学し、各地の展覧会に出展している。