製薬フロンティアPhoto by H.KONDO

江戸時代から続く大阪の薬のまち「道修町(どしょうまち)」。2025年秋までに大手製薬による“道修町離れ”が一段と進み、改めてこの町にスポットを当てる良いタイミングだろう。連載『製薬フロンティア』内の特集『道修町×大阪製薬』の本稿では、かつて“道修町の御三家”の一社だった田辺製薬(現在の田辺ファーマのルーツの一社)を取り上げる。02年に社長に就任した葉山夏樹氏を紹介する当時の記事からは、現在の田辺ファーマに通じる「名門復活への苦悩」が感じられる。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

タナゴの略称で知られた道修町の名門
今は外部人材を経営層に招き奮闘中

 1678年に「たなべや薬」の看板を掲げて創業した田辺製薬は、大阪・道修町を代表する名門製薬会社だった。

 創業家の経営トップは「田辺(屋)五兵衛」の名を継承し、田辺五兵衛商店(田辺製薬の前身)は「タナゴ」の略称で呼ばれていた。

 国内製薬業界の再編ストーリーはあまたあれど、現在の田辺ファーマに至るまでの過程は最も複雑なケースだ。07年に田辺製薬と三菱ウェルファーマが合併して田辺三菱製薬となり、25年12月には商号変更で田辺ファーマ(米ベインキャピタル傘下)となったのが大筋の流れだ。だが01年に誕生した三菱ウェルファーマに至るまでには、道修町系の吉富製薬、ミドリ十字、東京田辺製薬など、多くの製薬会社が合併を重ねてきた。

 なお田辺ファーマは16年以降、道修町に関するインターネット調査を毎年実施している。25年の調査(大阪府を主とする近畿圏在住の20~69歳の男女1005人)では、道修町を「どしょうまち」と正しく読めた人は23.3%で、調査を開始して以来最も低くなったという。時代の移ろいとともに、道修町は人々の記憶から消えていくのだろうか。

 以下は、02~07年に田辺製薬社長、07~09年には田辺三菱製薬社長を務めた葉山夏樹氏を紹介した02年の記事だ。合併再検討の意欲、構造改革、研究開発費の確保などがつづられている。

 田辺ファーマ(当時は田辺三菱製薬)はベインキャピタルに約5100億円で買収された。そして米ファイザーの日本法人、武田薬品工業、参天製薬などさまざまな大手製薬経験者が経営層を占めている。24年度(24年12月期または25年3月期決算)の売上高順で田辺ファーマは業界9位。名門復活への苦悩やもがきは、当時の記事時点も今も、通じるものがある。

(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

大正との破談を機に
構造改革にまい進

「週刊ダイヤモンド」2002年9月28日号「週刊ダイヤモンド」2002年9月28日号から

「周囲に任せるタイプ」と自認するが、社内外からの評価は「親分肌」。田辺製薬の社長に就任した葉山夏樹の持ち味である。