前回お話ししたような、拝金主義的で、ちょっとおかしい日本人がだんだん増えてきたのは最近だと思います。日本人はもともと、つつしみ深く、「奥ゆかしさ」という美的感覚を持っていたのです。表面より、内面性や精神性を重んじた文化と伝統に育まれていたと思います。
私の提唱するフィロソフィーのひとつにヘレン・ケラーの言葉があります。
「この世で一番美しいものは決して目に見えない、手で触れることができないものです」とは、昔の日本人なら誰でも知っていたことです。
お金に対して
「美意識」を持つ
世界のできる男や富豪達も「富とはお金ではない」と断言します。「真の豊かさとは、心の豊かさであり、これは目に見えるモノではない」と彼らは言うのです。このようなお金に対する「奥ゆかしさ」を、昔の日本の親達は子供に教えました。
「お金をみせびらかすのは下品な人間がすること」
「まわりから、『かわいそう』と思われるぐらいがちょうどいい」
「お金を持っていない人にもやさしくしなさい」
ところが、最近の日本では、まず親の金銭感覚とお金に対する美意識がゆがんできているように思えます。もちろん、全部の親達がそうではないのですが、子供に過度な贅沢をさせたり、子供に対して平気で「大人になったらたくさんカネを儲けてラクをさせておくれ」「いっそ、芸能界へ入って稼いでおくれ」と言う親も中にはいるようです。
世界のできる男や富豪達は、お金をみせびらかすことをしません。
逆に、あえて普通にふるまっています。それは、彼らの親達がそのように躾けたからです。基本的には、昔の日本の親達がしていたことを、今でも彼らはしているだけなのです。
1990年代にアメリカで大ブームをおこした本があります。邦題『となりの億万長者』(早川書房刊)は、それまでアメリカ人が持っていたお金持ちの定義をくつがえしました。私も友人から話を聞いた時は衝撃的でした。