僕たちはエンジニアじゃなくてアーティストなんだ。
(We are artists, not engineers.)

スティーブ・ジョブズ

 スティーブ・ジョブズは「何も発明せずにすべてを生み出した」と語られることがあります。確かに、パーソナル・コンピューターにしてもマウスにしてもMP3プレーヤーにしても、アップルが発明したものではありませんでした。

 それにもかかわらず、アップルが世に送り出したマッキントッシュやiPodは、世界中の人々を惹きつけて世界標準となっていきました。

 一部の人だけが使う特殊な商品や、荒削りのアイデアが、アップルの手にかかることによって洗練され、みんなの日用品になっていく。そんなふうにアップルは人々の生活を変えてきたように見受けられます。発明はなくても、アップルがイノベーションの会社であることに疑いの余地はありません。

 アップル製品を語るとき、多くの人が「美しい」「洗練された」「ユーザーフレンドリー」といった形容詞を使います。ユーザーたちが感じている魅力が、明確な言葉にしにくい類いのものである証拠でしょう。言葉にならない感覚的な魅力。それは、どこからくるものなのでしょうか。

 思い当たるのは、スティーブ・ジョブズの言葉です。「僕たちはエンジニアじゃなくてアーティストなんだ」とジョブズは何度も社員に伝えていました(桑原晃弥著『スティーブ・ジョブズ全発言』PHP研究所)。

 ジョブズが思い描いていた理想のチームは、最高の技術力を備えたエンジニア集団ではなく、プログラミングができるアーティスト集団だったのです。実際、ジョブズにはアーティストとしてのこだわりが伝わるエピソードがいくつも残っています。

 1982年に発表されたマッキントッシュ。開発段階のときに、ハードウェア技術者のバレル・スミスが完成したプリント基盤をジョブズに見せると、ある部分は美しいが、ある部分は見苦しいと苦言を呈します。

 そのやり取りを見ていた社員が「プリント基板なんて誰も見ない」と言うと、ジョブズは「すぐれた大工はキャビネットの裏に使うからといって質の悪い木を使ったりしない」と一喝しました。

 また、マッキントッシュが完成した際、ジョブズは「アーティストは自分の作品にサインするものだ」とチームメンバーに大きな製図用紙を渡してサインさせました。サインはマッキントッシュの内側に刻まれて実際に出荷されたのです。

 他にも「君たちは技術と文化を融合させるアーティストだ」とか「この製品を現実のものにするのは君たちの創造性だ」などと言った言葉でチームを鼓舞し、スケジュールが遅れていた際には「真のアーティストは出荷する」という冗談のようなスローガンで発破をかけました。

 アーティストという言葉を使った背景には、人を魅了するものをつくろうとするクリエイターとしての意思だけでなく、マネジメントをする上での理由もありました。

 ジョブズは、かつて手本にしていた、小さくてもスリリングな会社が大きくなって官僚的になり退屈になっていくのを見て危機感を覚えたといいます。アップルも組織が大きくなっていくなかで、社内調整ごとが増えていく時期がありました。

 そんな時だからこそ、エンジニアたちが自由にアイデアをぶつけられる環境をつくりだそうとしたのです。アーティストとして自分たちを定義することで、批評家や顧客の言いなりになる態度を拒絶。その代わりに、周囲の想像を超えることや、人をあっと驚かせることは何かを考え続ける風土を生み出しました。

 アップルの製品と他社の製品を「何か」が違うと思っているとしたら、その「何か」はアーティストとしての意地なのでしょう。ジョブズは、エンジニアをアーティストに変え、製品を作品に変え、そして私たち顧客を観客へと変えていったのです。(続く)

第6回(最終回)は8/8掲載予定です。


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著者紹介
ソニー、ディズニー、アップルを<br />つくりあげた3つの言葉
細田高広(ほそだ・たかひろ)
一橋大学卒業後、博報堂にコピーライターとして入社。Apple、Pepsi、adidas、Nissanなどのブランド戦略を手がける米国のクリエイティブエージェンシーTBWA\CHIAT\DAYを経て、TBWA\HAKUHODO所属。クリエイター・オブ・ザ・イヤー・メダリスト、カンヌライオンズ、CLIO賞、ACC賞グランプリ、東京コピーライターズクラブ(TCC)新人賞、ロンドン国際広告賞など国内外で受賞多数。通常の広告制作業務だけにとどまらず、経営層と向き合って数々の企業のビジョン開発に携わるほか、経営者のスピーチライティング、企業マニフェスト、ベンチャー企業支援、新規事業や新商品のコンセプト立案などを手がけてきた。「経営を動かす言葉」「未来をつくる言葉」といったテーマで学生への講義や社会人への講演も行っている。経営と言葉という、今まで無視されがちだった領域に光を当てる、クリエイターとしては異色の存在。