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昨年、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の最終回では、「週刊ダイヤモンド」2017年2月25日号の記事「傑物が4代続いた幸運 受け継がれる創業家のバトン」を紹介する。日本の洋酒文化をリードしてきたサントリーが、国内で総合飲料企業のトップへと成長を遂げた裏には「カリスマ創業家経営」があった。記事ではサントリーの歴史とともに、歴代トップの功績をまとめている。(ダイヤモンド編集部)
鳥井信治郎は国産ウイスキーへ挑戦
2代目佐治敬三はビール事業へ参入
しゃれたバーだけでなく、今や居酒屋やレストランといった飲食店のメニューにも並ぶウイスキーやワイン。洋酒文化は既にわれわれの日常に溶け込んでいる。
サントリーホールディングスの前身である鳥井商店が開業した1899年当時、「洋酒を飲む」という習慣は日本に定着していなかった。それを、約120年の歳月を通して広めてきたのがサントリーだ。その歴史を振り返ってみよう。
創業者である鳥井信治郎が洋酒販売を始めたルーツは、13歳のときに入った薬種問屋、小西儀助商店でのでっち奉公にある。小西儀助商店は木工用「ボンド」で有名なコニシとして現存している企業だ。
当時の小西儀助商店では漢方薬の商いが主だったが、ぶどう酒やウイスキーも扱う“ハイカラ”な店だった。信治郎はここで洋酒の製造法や調合技術を学んだ。
技術を身に付けた信治郎は99年に、20歳の若さで鳥井商店を開業(1921年より壽屋)。自慢の調合技術を生かして07年に甘味ぶどう酒「赤玉ポートワイン」を発売した。画期的な横文字の商品名も受け、売れに売れた。
信治郎が名経営者と称されるのは、ここで油断しなかったことにある。赤玉ポートワインで得た利益を、ウイスキー蒸留所、山崎工場の建設費に充てたのだ。こうして23年に初の国産ウイスキー工場の建設に乗り出す。これぞ創業精神「やってみなはれ」である。
信治郎のやってみなはれが国産ウイスキーへの挑戦だとしたら、2代目社長で信治郎の次男、佐治敬三のやってみなはれは、ビール事業への参入だ。敬三は63年に武蔵野ビール工場を開設。「サントリービール」を発売し、ビール市場に打って出た。
その後、2008年に黒字化を果たすまで46年間辛酸をなめたが、従来のワインやウイスキーの手工業的な製造から装置産業のビール事業へと変化することで、会社は近代化を遂げた。
「週刊ダイヤモンド」2017年2月25日号







