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世界最大の人口14億人を抱え、新車販売台数は年間約500万台。インドは中国、米国に次ぐ世界第3位の自動車市場に躍り出た。一方で、この巨大市場は多くの完成車メーカーが苦戦を強いられてきた“鬼門”でもある。メーカーだけでは攻略が難しい市場だからこそ、バリューチェーン全体の構築を得意とする総合商社の出番だ。特集『自動車 解体』の#8では、その急先鋒に立つ三菱商事と三井物産の戦略に迫り、激変するモビリティビジネスの“勝機”を探る。(ダイヤモンド編集部 大川哲拓)
本格的なモータリゼーション目前のインド
商社は「車」ではなくバリューチェーン全体を狙う
「日本の自動車メーカーが勝ち残れるかの鍵は、この10年でインド市場の爆発的な成長をつかみ取れるかにある。われわれ自身もしっかり取り込み、日系メーカーに対してもサポートしたい」――。
三菱商事モビリティグループCEOの若林茂・常務執行役員はダイヤモンド編集部の取材に力強く語った。
インドの1000人当たりの自動車保有台数は約60~80台にとどまり、タイ(270台)や中国(230台)と比べて低水準にある。それでも、右肩上がりで経済成長を続けるインドは、2025年時点で1人当たりGDP(国内総生産)が2800ドルを突破。1人当たりGDPが3000~5000ドルを超えると自動車普及率が急上昇するとされており、本格的なモータリゼーション到来への“臨界点”が迫っている。
三菱商事は、35年前後に1000人当たりの保有台数が100~150台へと、ほぼ倍増すると見込む。平均年齢29歳という若い人口構成も追い風だ。若林氏は、「ボリュームゾーンを形成する若年層が、この10年で所帯を持ち、車を買い求めるようになる。まさにインド市場の拡大を支える原動力となる」と市場拡大への期待を寄せる。
だが、これまでの歴史を振り返ると、インド市場は日系を含む外資メーカーにとって、苦戦を強いられてきた“鬼門”といえる。
トヨタ自動車は1980年代に現地財閥系のDCMグループと組み、トラック分野でインドに初進出した。しかし、販売網の未整備や円高による部品の高コスト化を背景に伸び悩み、97年にDCMとの事業を清算。その後、別の財閥系のキルロスカ・グループと組み、2010年に低価格車の「エティオス」を投入したが、激しい価格競争に敗れて20年に現地生産を終了した。現在は、スズキからOEM供給を受け、好調なSUV需要を取り込み、シェアを約8%にまで伸ばしている。
ホンダは1990年代末から2010年代にかけて看板セダンの「シティ」などがインドの中間層・富裕層の間で人気を博した。しかし、その後はSUVシフトの波に乗り遅れるなどして低迷。20年には主要工場での生産を休止するなど苦戦を強いられ、現状のシェアはわずか1%にとどまる。
苦しんできたのは日系メーカーだけではない。1990年代に参入した米GM(ゼネラルモーターズ)やフォードも、コスト競争力の欠如でシェアを伸ばせず、それぞれ2017年、21年に撤退を余儀なくされている。
外資メーカーで例外的な成功を収めたのがスズキだ。1982年にインドの国営企業マルチ・ウドヨグとの合弁により、いち早く全土に販売・サービス網を構築。現地のニーズに合致した安価で耐久性の高いコンパクトカーが支持され、現在も約40%という圧倒的なシェアを誇っている。
こうした歴史が示すのは、インド市場では、日系メーカーが得意としてきた「良い車を造る」だけでは勝てないということだ。全土を網羅する販売・サービス網の構築や、現地企業との柔軟な協業など、市場に根差した事業基盤を築けるかどうかが、勝敗を左右する。
そこで、真価を発揮するのが、ビジネスモデルの創出やバリューチェーンの構築を得意とする総合商社だ。
インドでのEV事業を管掌する三井物産モビリティ&インダストリアル事業部長の山本伊佐子理事は「われわれの強みは、製品を右から左に売るだけではなく、周辺のインフラや付帯サービスをパッケージにし、お客さまに応じていろいろなものを組み合わせて提供できる点にある」と言い切る。
本格的なモータリゼーションの到来を前に、メーカー各社は再びインド市場への攻勢を強めている。三菱商事や三井物産は、その成長を取り込むべく、それぞれ独自戦略を描く。三菱商事はASEAN市場で長年培った販売・アフターサービス網のノウハウをインドへ横展開する一方、三井物産はEV二輪やEVバスを軸に、インドを海外市場向けの「輸出ハブ」へ育てようとしている。
次ページでは、総合商社の“両雄”である三菱商事と三井物産の戦略を詳報し、それぞれが描くモビリティビジネスの勝機を徹底解剖する。







