ビジネススクールの勉強も役に立ったが、米国人のコミュニティーに受け入れられ、様々なことを学べたのが、何より貴重な経験になった。アメリカという国の懐の深さを改めて実感した日々であり、米国社会に対するあこがれがリスペクトに変わるきっかけにもなった。
留学を終えた後はいったん帰国し、改めて駐在員としてミシガン州デトロイトに赴任することになった。今でこそデトロイト郊外に日産の大きな開発拠点があるが、まだ自動車生産の現地化は夜明けを迎えたばかりで、私は自動車の部品や資材の輸出入を担当する日産トレーデイングの小さな事務所で働いていた。
当時は日米貿易摩擦がピークに達し、日本製のラジカセや自動車が壊されるという象徴的な事件が頻発していた。私がGMなど米ビッグスリーの工場や米大手部品メーカーの工場を訪れると罵声を浴びせられることもあった。
「ジャップ、ゴー・ホーム」
日本野郎、とっとと国に帰りやがれ。いわゆる差別語である。日本の自動車が売れすぎるせいで、自分たちの会社や自分の職が危うくなっている。そんな腹立たしい思いを若い日本人にぶつけたのだろう。
ちょうどその頃、3人目の子供を授かった。米国の病院で出産するのは妻も大変だったはずだが、医師も看護師もとても親切な方ばかりで、順調に出産の日を迎えた。
マイナス10度前後の極寒の日が続く真冬のミシガン。夜明け前に陣痛が始まり、あわただしく支度をして、妻を病院へ連れていった。妻はすぐに入院した。その頃から米国では夫が出産に立ち会うのは当たり前で、私もそのまま明け方から付き添っていたのだが、あいにくその日は日本の自動車各社が協力してきた「米国製自動車部品の対日輸出を増やすために」というお題の大規模なセミナーと重なり、私も事務方の主要メンバーの一人として出席する予定になっていた。
しきりに時計を気にする私を見て、コーンメッサーというベテランの担当医師が強い口調で言った。
「ミスター・サイカワ、大切な奥さんが出産という人生の一大事に直面しているんだ。たかがビジネスの予定ぐらいで、さっきから時計ばかり見てそわそわして。しかも病院を抜け出してセミナーに出かけようなんて、いったいあんたはなにを考えているんだ」
お陰さまで妻は午前11時頃、無事に出産したのだが、結局セミナーの午前の部は欠席せざるを得なかった。私はその医師と看護師に頼み込み、午後の部だけでも出席すべく会場に滑り込んだ。
日本側の関係者の冷ややかな視線を感じながら会場に入ると、米国側の進行役の女性が突然アナウンスを始めた。







