歳を重ねるにつれ、「死」というものが人事(ひとごと)でなくなっていく。「なにか前もって準備をしておかなければ。でも具体的になにをすれば?」という人も多いだろう。
連絡先の整理、保険など契約事の詳細、不要品の処分、口座やメール、パスワード類といった自分にしかわからないものの分類など、思いつくだけでもかなりの手間と時間がかかりそうだ。
これらの身辺整理は、残された人に迷惑をかけたくない、お礼や挨拶をしてから逝きたいという気持ちのあらわれ。どんな顔で最期の挨拶をするか――ある意味では「遺影」もまた、前もって準備しておいた方がよいものの一つかもしれない。
旅と人をテーマに作品を撮り続けるフォトグラファー栃久保誠氏が主催する「iei project」は、普段なかなか撮ることのない自分の“いま”を切り取り、プロフィール写真や贈呈用、さらには遺影としても使える写真を撮る撮影イベントである。
「遺影というと、身構える方が多いと思います。ただ、いずれ訪れる自分の最期を意識することは、毎日を前向きに生きるきっかけになるはず。写真を撮った方がリフレッシュしてまた日常を送るということで、遺影であって遺影ではない『iei』という表現を使いました」(栃久保氏)
母親が突然亡くなり遺影用の写真を探すのに苦労したという男性、趣味のボーリング用具と一緒に写してほしいと話す新社会人──6月2日、3日に開催した「iei project in 北品川」には、それぞれの「iei」を求めて多様なバックグラウンドを持つ人々が集まった。
「最初に撮ったのは祖母です。昔の写真を引っ張りだされ、加工して遺影に使われるくらいなら元気なうちにきちんと撮ってあげたい。そんな話を電話でしたところ、母方の実家に代々伝わる着物を用意してくれました。照れくささと嬉しさが交じり合った、家族にしか撮れない1枚だと自負しています」(栃久保氏)
元気な写真で送られたい
写真屋に行くのが億劫であれば旅行用のデジカメでいい。ブレやピントの多少のズレは後からでも修正できる。身近な人の“いま”を家族が撮る、その事実だけでも意味がある、と栃久保氏は話す。
「毎年お正月に『今年の1枚』を撮るのもいいですね。そうした習慣が遺影という形に結実するのは、いつなにが起きてもおかしくない日常の延長線上に死があるのと同じことだと思います」(栃久保氏)
2008年から1年半ほどかけて世界を旅した栃久保氏。そこで感じたのは、暮らしの中には生と死がかぎりなく近い距離で共存していることと、人は息を引き取るその瞬間まで、他人の心の中に生き続けたいと願っていることだそうだ。
時間に流されず、自分という存在をいつまでも心にとどめてもらいたいならば、最期の挨拶「遺影」のことを考えてみてはいかがだろう。
(筒井健二/5時から作家塾(R))