それにしても、なぜこのような極めて不合理に見える経済補償負担がまかり通るのでしょうか。私の推測を交えて簡単に解説しておきましょう。
中国では、1992年に共産党の政策として競争を内実とする社会主義市場経済が登場し、それが93年に憲法に反映(82年憲法の第2次改正)される前は、計画経済による国家運営がなされていました。計画経済体制下では、中国人民には職業選択の自由がなく、国家があてがった職業に従事するほかありませんでした。
たとえば、あるときに人民解放軍で勤務していた若い兵士が国有企業Aで勤務することを命じられ、次に国有企業Bで勤務することを命じられ、1980年代後半に国有企業Bと日本企業との合弁会社Cに勤務することを命じられるということがあり得たわけです。
ところで、こうした職業の強制的アレンジ制度がなくなり、国有企業を含むすべての企業が労働契約制に移行し、特に会社都合による労働契約の解除・終了に伴う経済補償制度が登場したのは、1995年1月1日の「労働法」施行に合わせたタイミングでした。もっとも、「労働法」の施行直後には、合弁会社Cにおける勤務年数を基礎として経済補償を付与することが義務づけられたものの、国有企業Bや国有企業A、そして人民解放軍での勤務年数まで基礎とするかどうかについて、ルールは必ずしもはっきりしていませんでした。しかし、従業員の立場からすると、古い時代には職業選択の自由など一切なく、国家の命により職場を変えただけなのだから、過去に勤務した年数分を合算して経済補償の基礎とするのが合理的だという主張が高まってきたわけです。
1990〜2000年代初頭にかけての中国で、こうした主張は多くの場合、経済発展を最重視する観点から退けられてきました。しかし2000年代後半、特に従業員の権益を積極的に守ろうとする「労働契約法」が2008年1月1日に施行された後、このような主張が段々と市民権を得るようになってきたと推測されます。
こうして中国の子会社の解散・清算に伴う労働契約終了時に古参従業員を大量に抱える中国の子会社において、莫大な経済補償の支払いが必要となる事例を生ずることになったのです(もっとも、経済補償金は日本の退職金とは制度趣旨が異なるので、古参従業員が定年退職年齢に達すると、経済補償金を受給できる法的権利は一切失われます)。
最後に「解散・清算」というババを引き当てた企業が従業員の過去のすべての勤務年数を基礎として負担する「ババ抜き型」経済補償を許容することは、中国の投資環境に関するレピュテーション(評判)を急速に悪化させる懸念もあります。ですから、中国政府が「従業員の権益vs合理的な費用負担者の発見」という困難な問題に、できる限り早く合理的な解決策を見出すことを期待したいと思います。