乗り鉄、撮り鉄、鉄ガール…。今も昔も根強い人気を誇る鉄道。今回は、鉄道の伝説的ライターである宮脇俊三さんに8年間同行していた写真家、櫻井寛さんによるフォト・エッセイを紹介します。
国鉄路線網の暗いイメージを
一新した宮脇俊三さん
2013年3月刊。帯コピー通りの美しい車窓風景が数多く掲載されています。
宮脇俊三さんが『時刻表2万キロ』(河出書房新社、1978、角川文庫、1984)を出版したのは70年代の終わりです。当時、国鉄(日本国有鉄道)の労働組合が「スト権を獲得するためのスト」や「順法闘争」という名のサボタージュを連発した70年代前半を踏まえて、国鉄に対して暗いイメージを抱く国民が増えていたころでした。
2兆円を超える膨大な債務を抱えて、国鉄は深刻な労使対立を抱えてのっぴきならない事態に陥っていました。おまけにスタグフレーション(不況下のインフレ)が進み、日本全体が暗くどんよりした気分に襲われていた時期です。国鉄民営化はこの10年後のことでした。
『時刻表2万キロ』は、なんと国鉄全線を完全に踏破した記録です。宮脇さんは時刻表を読み、読むと行きたくなって「時刻表に乗る」(同書冒頭)と書いています。「時刻表」の数字をたどりながら乗り換えを研究し、効率的な時間配分を考え、限られた日数の鉄道旅行を繰り返していたところ、残り2700キロで全線を踏破できることを意識し、全線完乗を決行したというわけです。
宮脇さんは中央公論社の編集者、編集長を歴任し、本書出版直前は常務取締役編集局長でした。会社勤めがあるので、金曜日の夜行寝台で未乗車区間へ出撃し、制限時間いっぱいまで鉄道に乗り、日曜日の夜か月曜日の早朝までに帰宅し、何食わぬ顔で出社していたのです。
この紀行文を勤務先ではなく、河出書房新社から出版することになり、宮脇さんは退社してフリーの物書きとなりました。1926年生まれの宮脇さんは、この年、52歳でした。
熟練編集者の達意の文章は、ライターのお手本のような文章です。淡々と記録を積み上げ、ときにユーモアを交え、ところどころで家族の姿をすべり込ませて読者の親近感を呼びます。また。歴史・地理の教養は深く、読んで勉強にもなるのです。発売後はベストセラーとなり、日本ノンフィクション大賞を受賞しました。
なにより、暗いイメージが蔓延していた70年代末の国鉄路線網が、急に明るい大人の知的ゲームの場に変わったのです。
宮脇さんはその後、『最長片道切符の旅』(新潮社、1979、新潮文庫、1983)をはじめ、数多くの鉄道紀行や小説を書き、2003年に76歳で亡くなりました。2013年は没後10周年に当たります。