重要なのは中身であって見てくれではない、と思う。しかし、見た目に左右されてしまいがちなのも人間の性である。
たとえば豚足について。
豚足は大きく言えば、皮と筋、骨で構成されている。コラーゲンやエラスチンなどのタンパク質を多く含むのが特徴である。長時間加熱すると、これらタンパク質がゼラチン化して柔らかくなる。「お肌にいいですよ」と勧められることもある。
しかし、いかんせん、見た目に迫力があり過ぎる……。「ですよね」と、池田吉啓さん(47歳)も深くうなずく。日夜、豚足をニッポンのおかずにしようと奔走する商品開発者である。
“鯛の姿盛り”には小躍りするのに
「豚足」には冷たい日本人
豚肉は日本の食卓になくてはならない食材の1つだ。しかし、「豚足」となると話は別である。
『物語 食の文化~美味い話、味な知識』(北岡正三郎著、中公新書)には、日本とヨーロッパの肉に対する態度の違いについてこう書いてある。
<ヨーロッパなど牧畜民族では長い肉食の歴史があり、家畜の解体、内蔵の利用について伝統があるが、日本では肉食の歴史は浅く、もっぱら切り身になった筋肉だけを食べ、動物の生前の姿を示すものは忌避する。魚の場合と大違いである>
言われてみればそうかもしれない。私たちは鯛の“姿盛り”には小躍りするが、豚足に対してはどこか冷たいところがある。手羽先は平気でも豚足はダメ。そういう人は多い。
考えてみたら、手羽先と豚足の間にどんな違いがあると言うのだろうか。骨付きチキンが食べられるなら、骨付き豚足を食べてもいいわけである。そう思ってさらに読み進めると次のような記述にもぶつかり、「なるほど、そうか」と考えさせられた。
<キリスト教では家畜は人間に食べられるべく神によって作られたと教える。人間が他の動物と異なった、特別の存在であるとの思想はヨーロッパ文明の1つの基礎をなしている>
そう言えば、スペインではその昔、改宗したユダヤ教徒やイスラム教徒に踏み絵として豚肉料理を出した、という話を読んだことがある。イタリアでは、クリスマスに見た目もそのまんまの豚足を食べる習慣がある。料理の名前を「ザンポーネ」という。
調理法としてはまず、豚足の中をくりぬいて、ソーセージ生地を詰める。それを、レンズ豆などと一緒に煮込むのだ。イタリアの家庭には豚足がすっぽり入る専用の鍋まであるそうだから、これは相当に根付いている。
インターネットで調べると、やはり、日本人には強烈すぎる見た目のようで、その圧倒的な迫力に気圧されたようなコメントが数多く見られる。しかし、池田さんは現地でそのザンポーネを見て驚いたばかりではなく、大いに勇気づけられもした。
「日本にいると、豚足はどうしても一部のマニア向け食材かなと思ってしまうのですが、日本を一歩跳び出せば、豚足を食べている人々はたくさんいる。世界はけっこう広いな、と思いました」
ポジティブである。