現場で耳にする残念な声の数々
「ソニーDNA」は本当に失われたのか?
ソニーのDNAは失われてしまったのだろうか。消費者をワクワクさせたソニーは終わってしまったのだろうか?
筆者の答えは「ノー」である。
ソニーの「ゲンバ」には、ソニーイズムがいまだ残っている。ソニーらしい技術者に、筆者は今でも出会う。ただし、以前よりもその量や質に変化が生じていることは否めない。そして、何よりも残念なのは、マネジメントの分野で「ソニーDNA」の申し子のような人が減っていることだ。
30歳、40歳の技術者と会話をすると、自分が創り出したいモノを必死に探究している輝きに出会う。新しい刺激に飢えている。
「今、欲しいものは何? マイブームは?」「この素材の触感、どう?」
しかし、年輩のソニー関係者と話をすると、残念な気持ちになる瞬間がある。「誰がどの事業部に移動した」「あの人とあの人は同じ研究室だ」などと、人事や社内政治に関する話題が多いからだ。
また、「昔は、反対の声が多い製品こそ『Go』をかける気概ある人がいたんだけどなぁ~」などと、どこか他人事のようなコメントに出会うこともある。「だから、俺がやる!」的な人には出会う機会は稀だ。
失礼を承知で言えば、「自分が在職しているうちはソニーがなくなることはない」「このまま大人しくしていれば」的な雰囲気を感じてしまう。
平井一夫社長は、「ソニーDNAがソニー復活のキモ」と訴える。確かにそうだと思う。しかしそれは、正確に言えば、ゲンバにいまだに残っているソニーDNAにフタをしてしまっているマネージメントに対してソニーDNAを再注入することだと思う。
創業者の井深大さん、盛田昭夫さん、中興の祖である大賀典雄さんのような意思のある経営者が上層部にいたことが、ソニーがソニーらしく輝き続けていた理由だったと思う。「売れる」「売れない」「やる」「やらない」の判断を、技術者としての心の目で判断してきたのが、ソニーのDNAだと思う。