自由奔放の高校生時代

猪子寿之チームラボ代表インタビュー<br />「逆・玉の輿を狙って東大に行った」長谷川敦弥(はせがわ・あつみ)
株式会社LITALICO代表取締役。名古屋大学理学部を休学し、焼肉店店長やITベンチャー企業のインターンを経て卒業、2009年より現職。障害のある方を対象とする就労支援センターや発達に課題のある子どもも安心して通える幼児教室・学習塾を全国展開する。
LITALICO
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長谷川 ちなみに部活などでスポーツをしていましたか。

猪子 していませんでした。受験に関係ないから。

長谷川 合理的ですね。

猪子 部活って、意味もなく毎日決まったことをしなきゃいけないじゃないですか。そういう非合理的な組織は苦手でした。でも、体育の時間はやりますよ。体を動かすこと自体は好きでしたから。足も速いんですよ。高校とかでは、たぶん一番速かった。

長谷川 昔から合理的ではないものは嫌いだったんでしょうか。

猪子 自由ではないもの、合理的ではないものは嫌いでした。

長谷川 では学校は相当嫌いだったのではないですか。

猪子 いや、大好き。よく高校のときとかは、学校が終わって掃除の時間とかに着いたりしてました。「もう終わったよ」ってみんなに言われるんですが、「まだ終わってねえだろ、学校はこれからだ」って。みんなといるのが楽しかった。

長谷川 昔からみんなと遊んでいたのですか。

猪子 そうですね。いつも友達といました。今でも中学高校と一緒だった友達が会社の役員をしていますしね、共同創業者として。3歳ぐらいから知っていて、高校は3年間ほとんど一緒にいました。

長谷川 ご友人とのエピソードで、何か思い出に残るものはありますか。

猪子 高校の文化祭で企画したお化け屋敷は印象に残っています。クラスみんなで考えて作ったのですが、「こうしたらお客さんは驚いてくれるだろう」という仮説を立てて、作って体験して、どう思うのか考えて、それを繰り返しながら作り込んでいきました。そういう体験がとても面白くて、大人になったら毎日お化け屋敷を作っているみたいな日々が続けばいいなと思っていましたね。自分はみんなで一緒にひとつのものを作り上げていくことがとても好きなんだと気づかされました。

親に怒られても
論破していた

長谷川 家庭では猪子さんはどのようなお子さんでしたか。

猪子 思春期ぐらいまで、のんびりしていました。あまりわがままを言わないし、何かねだったり、泣いたりもしませんでしたし。普通の、あまり主張もない子どもだったと思います。

長谷川 そうなんですね。変わったのはいつからだったのですか。

猪子 中学校ぐらいでしょうか。自分がなにか好き勝手したとき、怒られますよね。それに対して、自分は正しいと論破するような子どもでした。そうなると、親もだんだん面倒臭くなるのか、自由にさせてくれました。

 何にでも反抗していたわけではないですよ。ただ自由でいたいだけで。それが邪魔されそうになると、異常なぐらい戦っていました。とにかく、好きなようにしていたいという意識が強かったです。