アメリカ自動車業界のエリート集団の1人、アルフレッド・スローン・ジュニア(1875~1966)は、聡明なエンジニアであると同時に進歩的な考えを持つ経営者でもあった。
スローンは、ハイアット・ローラーベアリング社を再建したあと、ユナイテッドモーターズ社の社長となる。このあとすぐ、同社はゼネラルモーターズ社(GM)と合併した。そして、ある財務的な操作を行ってGMの創業者ウィリアム・クラポ・デュラントを同社から去らせたあと、1923年、ピエール・デュポンの後継者として同社の社長に就任した。
GMの社長として、スローンは20世紀において最も大きな影響力を発揮した構想の1つを創案している。具体的には、事業部制を基本に同社の機構改革を進め、その事業部の上に経営会議を置いた。スローンの構想はその後の50年間にわたって、広く世の中の企業における組織構築の青写真となった。
スローンがGMの社長に就任してからの6年で、売上高は15億ドルに、そして株価は480%上昇した。結局1923年から37年まで14年間社長を務めている。その後は1956年まで会長の座にとどまった。経営者としての在任期間において、スローンはその最大の競争相手であるフォードを打ち負かし、GMを世界最大の自動車会社に育て上げた。
生いたち
アルフレッド・スローン・ジュニアは1875年5月23日、コネチカット州ニューヘイブンで生まれた。裕福な家庭の5人兄妹の一番上だった。父は、もともとエンジニアの教育を受けたが、コーヒーと紅茶の輸入業、そしてまた食料品卸業を営んでいた。
10歳のとき、スローン一家はニューヨークのブルックリンに移住する。そこでスローンは公立学校に通い、その後ブルックリン工芸学校で教育を受けた。マサチューセッツ工科大学に進んで勉強を続けたかった。入学するには若すぎると言われても、その入学願書を取り下げずに粘っているうち、ついに同校で電気工学を学ぶ道が開けた。クラス最年少のスローンは1895年、わずか3年で卒業している。