一般的に、ビジネスの世界において、何か物事を決めなければいけないときは、前提を定義し、事実と仮説に基づき、目標を達成するための合理的、論理的な選択をする。加えて、今まで私が属してきた欧米系の外資系企業では、意思決定者たちは、議題に対して賛成か反対か中立かを明確にすることが常に求められていた。当然、その根拠を説明する義務もあるので、議題について安易に周囲に同調することなく、各々が真剣に自分の考えまとめようとする。

 日本人に思考力がないとは思わないが、所属する集団のカルチャーや方針に対して、違和感があっても従うべきであるという教育を受けてきたのは事実だろう。小学校では高学年になるにつれ、積極的に挙手することがなくなる。私自身がそうだった。小学生とはいえ自分の意見くらいは持てる。ところが反対意見を言うより、周囲との摩擦を回避することを優先し、意見を言わないようになってしまうのだ。

 自分の意見を言わない、もしくは要求されないことに慣れると、次第に物事を考えなくなる。日本では講演会で質疑応答の場になると、誰も手を挙げないという光景をよく見る。恥ずかしいから、あるいは遠慮して手を挙げないのではない。思考停止によって手を挙げないのだ。

思考停止に陥ると……

 人類の歴史において、長い間暴力によって個人の意思を表現することが抑えつけられてきた。近代になって欧州の国々が血みどろの闘争によって勝ち取った民主主義システムにおいても、国民全体が思考停止に陥り、国家が全体主義に走ることもあった。

 その結果、権力は信用できない、個人は組織に従属するものではない、したがって個人と組織は契約関係にあるという概念が欧米においては発達した。その前提は、個人それぞれが自分の頭で考え、自分の意見を主張することだ。そうした価値観が欧米社会には根付いている。つまり、思考停止を許さないということだ。