大衆食堂のルール
丸一食堂は昭和30年の開業。同店がある川崎の四つ角商店街には、かつて6軒の大衆食堂が軒を連ねていた。昭和の高度成長時代であり、京浜工業地帯の各工場が煙突から煙をもくもく出して操業していた頃だ。
お母さん、細田美世子はこう言う。
「うちに来るお客さんはいまも労働者と職人さんが多いんです。昔は開店は朝の6時でした。店を開けたら、人がどどどっと入ってきたものです」
客はいずれも食欲旺盛の労働者だから、お母さんは一日に何度もご飯を炊いた。
「ある日、テーブルにおかずを並べた常連さんがいらいらした声で、『早くメシを出してくれ』と言うの。でもね、その時はちょうど、ご飯を切らして、炊きあがる寸前だったんです。私が『すみませんね、あと1分だけ待ってください』って頭を下げたら、その方は『なんだと、1分も待ってられるか』って、そのまま出ていっちゃいました。うちに来るのは待つのが嫌な人たち。少しでも早くご飯が食べたいんです」
大衆食堂には大衆食堂なりに、食べ方のルールがある。客は棚から、好きなおかずを取る。そして、店の人から炊き立てのメシとみそ汁をもらって食べる。あたたかいのはメシと汁だけで、おかずは棚にあるのをそのまま食べるのが本来のルール。いまは電子レンジでチンしてもらえるけれど、昭和の頃は置いてあったおかずをそのまま食べた。おかずは冷えて当たり前。冷えてもおいしいおかずを置くのが大衆食堂なのである。

だから、大衆食堂では訳知り顔に「魚を焼いてくれ」「とんかつを揚げてくれ」などとは言ってはいけない。ただし、玉子焼き、目玉焼き、ハム玉子のようなすぐにできるおかずだけは、店の人があくまで好意で調理して出してくれることがある。
大衆食堂はカウンター割烹ではない。自分の好きなおかずを「作ってくれ」とは、たとえ常連でも言ってはいけないのである。
「食堂のお客さんって、自分の好きなおかずをテーブルに並べて、熱々のご飯を食べるのが楽しみなんです。おかずよりもご飯が好きな人たちですね」
美世子はそう言って、さもおかしそうに笑った。