先日、あるテレビ番組の「昭和偉人伝」の取材を受けた。宅急便の生みの親の小倉について語れというのである。小倉を私は“官業を食った男”と命名している。旧国鉄の小荷物や郵便局の小包等のお役所仕事を食ったからである。しかし、そのため、運輸(現国土交通)省や郵政(現総務)省からは徹底して厭がらせを受けた。それでも小倉は怯まず、役所を訴えて、遂には路線許可等を認めさせた。世界に冠たる官僚国家の日本で、彼らとケンカして勝った経営者は小倉以外にはいない。“官業を食った男”は“官僚に勝った男”でもある。
運輸省の“ヤマト運輸いじめ”に正攻法で闘う
私は宅急便のスタートのころから取材しているが、親しみやすい人ではなく、狷介という印象が強い。何度もインタビューしているので、社内のある幹部が、「サタカさんは小倉とよほど親しいんでしょうね」と言ったと聞いて苦笑した。
私的なつきあいはまったくなかったからである。そうした孤高という感じの小倉でなければ、政治家も関わる官とは闘えなかったのではないか。
1986年夏、当時の運輸大臣、橋本龍太郎を相手取って行政訴訟に踏み切った小倉は、「運輸省なんて腐った官庁は要らない。運輸省のおかげで“宅急便”はずいぶん損している。ということは良質なサービスを受けられない利用者が損しているということだ」と派手な闘争宣言をする。
橋本は激怒しながらも、申請を認可せざるをえなくなったが、それからも、運輸省の“ネコいじめ”、つまりクロネコヤマトの宅急便のヤマト運輸いじめは続いた。
同じ運送業の佐川急便は政治の力を利用して運輸省を籠絡し、佐川急便事件を惹き起こした。運輸省は右手で佐川から賄賂をもらいながら、左手でネコいじめをやっていたのである。
それに対して小倉は私に「ヤマトには政治力なんかない。あっても使いたくはない」と珍しく激して言った。
小倉は「声なき声」があることを信じて、正攻法で闘った。