「坂本龍馬」と「巨人の星」と「SKE48」。一見するとまったく無関係に思えるこの三者だが、ある共通のキーワードがある。「前のめり」である。この「前のめり」という言葉、もちろん昔からある日本語だが、ほとんど死語になっていたと思う。しかし、どうも最近、ブームというほどではないが、時代の空気感をまとう「今の言葉」として復活しつつあるように感じる。というわけで今回は、前のめりな時代についてお伝えしたいと思う。
スポ根もの全盛期は
日本全体が「前のめり」時代
僕らオヤジ世代にとって、「前のめり」と聞いてすぐに思い出すのが『巨人の星』ではないだろうか。父・星一徹がまだ子ども時代の息子・星飛雄馬に対して男の生き方を説いて、次のような言葉を投げかける。
「いつ、死ぬかわからないが、いつも目的のため、坂道を登っていく。死ぬときはたとえドブのなかでも、前のめりに死にたい」
それが男の生き方だというわけだが、星一徹はこれを坂本龍馬の言葉として飛雄馬に伝えている。もっとも、実は坂本龍馬はそんなことは言っていないらしい。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のなかで龍馬の言葉として語られていて、これが『巨人の星』のこのセリフの元ネタという説もネットには出回っているが、そんな記述はないという説もあり、真偽のほどはよくわからない。原典に当たって調べてみようかとも思ったが、なにしろあの膨大な量の大長編だ。時間的に調べきれなかったことをご容赦願いたい。
ただ、この「男ならドブのなかでも前のめりに死ね」と語られるシーンは、『巨人の星』のなかでも特に印象的なシーンであり、当時の男の子、つまり僕ら世代の男子はほぼ全員が『巨人の星』を読んでいたと言っても過言ではないので、この言葉(思想)に影響されたオヤジも多いと思う。史実はどうあれ、このセリフに影響されて龍馬ファンになった男子も多いだろう。
『巨人の星』が連載されていたのは1966年から1971年の間。つまり、日本の高度経済成長期まっただなかの時代で、マンガもスポ根全盛で、これは少年マンガだけでなく、『アタックNo.1』や『エースを狙え!』など少女マンガでもスポ根ものが大人気となった。つまり男女問わず、日本全体が、かなり前のめりな時代だったのだ。
そして、この「前のめり」な時代に子ども時代を過ごした世代が、後のバブル時代に「イケイケ」という価値観を背景とした文化を生み、お立ち台女やオヤジギャルという、かなりの前のめり女子を輩出し、「24時間、闘えますか?」(リゲイン)という前のめり感全開の広告コピーを生み出す。