米国生産からの撤退を発表
三菱自動車はどこに向かう?

米国生産撤退を記者会見で表明した三菱自動車工業の相川哲郎社長。グローバル生産の集中と選択の方向を強調した Photo:REUTERS/AFLO

 三菱自動車が米国生産からの撤退を発表した。

 7月27日、三菱自動車工業の相川哲郎社長が記者会見し、米国の子会社であるミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ・インク(MMNA/本社:米国カリフォルニア州サイプレス市、工場:イリノイ州ブルーミントン・ノーマル市)が生産・販売を行う「アウトランダースポーツ(日本名:RVR)」を、2015年11月末をもって生産終了し、今後、同モデルの主力生産拠点である日本の岡崎工場に集約すると発表した。

 相川社長は、米国工場の生産撤退について「集中と選択の一環で、米国工場が年間5万台を切る見通しから、この生産規模では工場維持は困難と決断した」とその理由を説明した。また、「三菱自動車は現在、アセアンに工場の能力増強や新設を進めており、生産拠点をアセアンに集中し、今後は日本・アセアン・ロシアが生産の中心になっていく」と、グローバル生産の集中と選択の方向を強調した。

 これにより、三菱自動車の米国での生産は、1988年に当時の提携先であったクライスラーとの合弁工場で生産を開始してから27年を数える歴史に、終止符を打つことになった。もっとも三菱自動車の米国工場は、最近の生産規模から見て「撤退は時間の問題」とされていただけに、今回の撤退決断の次に三菱自動車がどこに向かうのか、注目されることになる。

 三菱自動車と言えば、その社名のとおり、かつての三菱財閥・スリーダイヤグループ企業であり、海外からも「日本の代表企業グループ三菱」の自動車企業として、名声が高かった。しかし、三菱における自動車の歴史は古いものの、現在の「三菱自動車工業」が誕生したのは、三菱重工業の自動車事業部門から独立した1970年のことである。

 それでも三菱自動車は、軽自動車から大型トラックまで、乗用車と商用車の商品群を持つ世界にも類を見ない総合自動車メーカーとして発展し、独自の地位を築いた。だが、その栄枯盛衰は激しかった。特にここ10年間は、三菱重工業、三菱商事、三菱東京UFJ銀行といった三菱グループの主力企業による支援で再建・再生の道を歩み、ようやく負の遺産を解消したばかりである。

 足もとの状況は、まさに「再生三菱自動車」が、米国生産撤退を皮切りに、新たな方向づくりに着手したタイミングと言えよう。