東京のある著名な大学で学生たちに「君たち、日本はかつてアメリカと戦争したんだよ」と話したところ、学生たちが「へー、ちっとも知らなかった」、そしてそのうちの一人がおずおずと手を挙げて「先生、それでどっちが勝ったんですか」、と。「真珠湾」という言葉を聞いた学生が「それってもしかして、真珠のとれる三重県の湾のことですか」と尋ねたという話もあります。

 お年を召した方にこの話をすると大笑いになるのですが、私も同じ話をある大学の新入生あるいは企業の入社式で話したところ、1人として笑う者がいなかった。意味がわからなかったのでしょう。不気味な感じを受けました。

 今の若い人の多くは、日本がかつて中国と無謀な戦争をして敗戦に追い込まれ、しかし戦争に勝った中国は日本に対する賠償を放棄したこと、あるいは日本はかつて朝鮮を植民地支配のもとに置き、彼の地の人たちに日本流の氏名を強要(創氏改名)し、多くの人たちを日本軍、あるいは日本の工場、炭鉱などに駆り立てたこと(徴兵、徴用)など、知らないのではないでしょうか。他方、中国や韓国の人たちは、学校でそこのところをみっちり教え込まれる。

 何も「歴史認識」について中国や韓国の歴史観に合わせよということではありません。彼らの歴史観にも一方的なところもありますから。ただ、基本的な事実だけは学習しておいてほしい。そうしないと、彼の地の若者たちとしっかりした対話すらできない。そこが心配です。ここへ来て、政府もようやく重い腰を上げ高等学校で近現代史を必修科目とすることが決まったようですが。

国際社会から見て日本の名誉を
最も深いところで傷つける発言の数々

――歴史認識についての対立が、中国、韓国との関係改善の障害になっています。

 時折、日本と韓国あるいは中国との間で、公正な共通の歴史教科書を編纂するという話が出ますが、当面とても無理でしょう。ドイツとフランスの間でさえ近現代史について、そのような本格的な共通の教科書ができたのは2006年になってからのことのようですから。とすれば、とりあえず、「歴史問題」は、この問題に通じた学者方の議論にゆだね、双方の政治のリーダーは、両国関係の大局をつかみ、大事な日中、日韓関係を「歴史問題」の「虜(とりこ)」にしないことです。

 歴史をどう解釈するか。そこには色々な見方があってよい。しかし、近年、国内の一部の風潮として「日本の名誉を取り戻す」として否定しがたい「歴史」を否定したり、これに正面から向き合わず「慰安婦など、皆、カネ目当てだった」「南京事件などでっち上げ!」などと開き直ったりする。近現代史について史料を渉猟しようとすると、「自虐史観だ。怪しからぬ。止めておけ」とも。

 このような発言が、国際社会から見れば、実は「日本人の名誉」を最も深いところで傷つける結果となっているということを、分かってほしいと思います。この点で今、気になっていることに例のヘイトスピーチの件があります。京都における特定の案件については最高裁で中止と損害賠償の判決が出たようですが、他の場所ではまだ続いているらしい。あそこで叫ばれている野卑な言葉の数々、とても活字にできるようなものではない。あれは言論の自由を越えた言論の暴力です。