「夢」の中身にリアリティがない

加藤 私の認識では、中国夢には、習近平という政治家の性格や個性が強く反映されているものです。たとえば、2013年、米カリフォルニア州サニーランドで行われたオバマ大統領との会談では、「太平洋は米中を収納するのに十分な大きさである」と言いました。また、2014年、上海で開催されたアジア相互協力信頼醸成措置会議では「アジアの問題はアジアで解決する」と提唱するなど、習近平は自分の色を政治に対して強く示す性格の持ち主だと感じています。

加藤嘉一(かとう・よしかず)
1984年生まれ。静岡県函南町出身。山梨学院大学附属高等学校卒業後、2003年、北京大学へ留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、2012年8月に渡米。ハーバード大学フェロー(2012~2014年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員(2014〜2015年)を務めたのち、北京を拠点に研究・発信を続ける。米『ニューヨーク・タイムズ』中国語版コラムニスト。

 一方の国務院総理・李克強ですが、彼と北京大学時代を共に過ごした元クラスメートによると、李克強は自分から好んで「中国夢」を使わず、公の場でも極力使わないようにしているそうです。経済と法律を専門に学んだ李克強から見れば、中国夢は空虚で中身のない政治スローガンに見えてしまうのかもしれません。全国人民代表大会のような舞台では立場上使わざるを得ないこともあるでしょうが、中国夢は習近平の色が強いコンセプトだと私は見ています。

 軍事学者などが中国夢について記した書籍を習近平が読んでいるのかどうかは定かではありませんが、経済も社会も不安定になるなかで、中国を統一するために有効なスローガンであり、それに喝采を送る無産階級・一般大衆もいると考えているのだと思います。まさに、北岡先生がおっしゃった必要性という文脈が際立っているのではないでしょうか。

北岡 たしかに、和諧社会について考えても、これまた必要性があってやったことですね。しかし、中国の偉大な復興というスローガンのほうは、中国が大国・強国として認められて尊敬されるようになったら、もう意味を持たなくなります。過去の帝国主義に弾圧された、侵略された屈辱から立ち上がるといっても、「もう十分に立ち上がった」と言われたら、途端にあのスローガン意味を持たなくなるわけですね。国民に対してアピールする力は、すぐになくなると思います。

加藤 最近の中国共産党の声明や談話を読むと、習近平は、2021年と2049年という「2つの100年」というコンセプトを、中国夢を実現するうえでの軸に位置づけているという印象を持たされます。習近平は共産党設立100周年を迎えた後に国家主席を退く予定ですが、にもかかわらず、2049年に関する目標を国家指導者として掲げている。

 習近平の後継者たちは、そんな目標を継承しなければならないことに、理論上はなります。戦略や政策の連続性という観点からも、継承が難しくなるでしょうし、私はそれを政治リスクにすら思います。私が習近平の政治を危ういと思うのは、前任者と後任者との関連性と連続性を無視、少なくとも軽視した政策が目立つからです。

北岡 私も先ほど、それを言おうとしたとこでした。つまり、あるところまで来たらアピール力がなくなると同時に、夢というのはいつまで経っても達成できないものですよね。それは二重の意味で危ないのではないかと思います。GDPで世界第何位に入ると具体的ではなく、曖昧すぎます。

 和諧社会はよりリアリティを反映していると思います。中国の発展が周囲と摩擦を引き起こすし、内部の格差も広がる。それらをいかに調和させるかという考えは、割合リアリティに向き合ったものでした。しかし中国の夢とは、リアリティに対応しているというより、何らかの政治的な意図のほうが前に来ているような気がしますね。

 次回更新は、9月4日(金)を予定。