前回コラムでは、前任者の胡錦濤氏からたすきを受け取った習近平氏は、共産党が自らの正当性を担保するためにマネジメントを迫られる4つの軸「安定」・「成長」・「公正」・「人権」のうち三番目の「公正」を重視すべきであると指摘した。

 その理由として、(1)中国社会がこれから“ポスト安定&成長時代”に突入するから、(2)共産党指導部がかつてないほど「民生」、即ち「国民の生活」に直接関わるファクターを重視するようになってきたから、(3)「人権」が後回しにされる可能性が高く、よって「公正」の充実と行使がますます重要になるから、という3つを取り挙げた。

 その上で、習近平氏はこれからの10年間、中国という巨大な国家を主宰するために、「社会」・「公正」・「民生」に軸足を置いた重要思想&指導原理を高らかに主張すべきではないか(例えば「社会体制改革」)と結論づけた。

 ところが蓋を開けてみると、習近平総書記の口から出てきたスローガンは「中国夢」(チャイニーズドリーム)という産物であった。「中国夢」は習近平・李克強政権がこれからの10年間で最重要視すべき「公正」というファクターを促進するのか、或いは阻害してしまうのか。

歴代指導思想とは別物の「中国夢」
“党章用”の新たな提唱もあるか

 まず断っておきたいのは、少なくとも現段階においては、習近平氏の「中国夢」は前任者の胡錦濤氏が提唱した「科学的発展観」と同等の産物ではない。即ち、並列に扱えないということである。

「毛沢東思想」、「トウ小平理論」、及び江沢民氏の「3つの代表」思想が過去においてそうだったように、「科学的発展観」は後に2007年10月北京で開催された第17党大会で「党章」に記載された中国共産党の指導思想である。習近平氏もこれから10年間中国の為政者として指揮を執っていく過程で、「党章」に規定されるような新たな指導思想を提唱する可能性は十分にある。

 むしろ、私から見れば、「中国夢」は、その抽象性や理想性からしても、胡錦濤時代に謳われた「和諧社会」(Harmonious Society)に近いスローガンである。