サラリーマン黄金時代の役員は
なぜ「ちゃんとした人」が多いのか

サラリーマン黄金時代を第一線で過ごした企業OBは「ちゃんとした人」が多いのだが…

 企業統治(ガバナンス)関係の仕事をしていると、社外取締役などを務められている大企業の役員OBの方々とお会いする機会も多い。彼らは、間違いなく日本の「サラリーマン黄金時代」を歩んできた人だ。大企業の役員OBなどというと、高慢ちきで嫌味な人物というステレオタイプなイメージが浮かぶが、実際には「きわめてちゃんとした気持ちのいい人」が多く、一緒に仕事をしていると随所に「さすが」という知見を披露される。やはり、「勝ち残った人たち」だな、と感じることも多い(もちろん厭味な人が一定数いることも言っておかなくてはならないが)。

 しかし、実際のところはどうも少し違うようだ。彼らが出世競争を勝ち抜き、それなりのポジションを得たことは確かだが、「勝ち残った」というよりは、「時間をかけて自分に合う役どころを自他ともに発見した」とでも言うほうが正しいようだ。高いポジションを得たのは間違いないものの、それはサラリーマン人生の中で周りの人との関係において徐々に、「役どころ」が決まったものであって、「他人を蹴落として競争に勝った」わけではないのだ。自分の「役割を全うした」という清々しさがある人が多い。

 彼らが生きた「サラリーマン黄金時代」と、現在のサラリーマンが置かれた状況で違うのは大きく3点あると思う。1つめは、大卒キャリア組の採用数があまり多くなく、会社がほぼ全員に目が行き届くような状況があった。そのため、全員の特質が埋もれることがなく、いろんな角度から「向き」「不向き」が判断され、長期的な育成が実現された。たとえば年間40~50人程度なら、継続的に見ていくことで、ほぼ全員の特質が把握できる。