広岡達朗氏といえば、セ・パ両リーグ日本一を達成した名監督であるとともに、選手としては巨人OBでもある。3月8日、巨人軍は高木京介選手の野球賭博への4人目の関与を明らかにした。実は広岡氏は、このたび上梓した著書『巨人への遺言』(幻冬舎刊)の中で、昨年秋に巨人3選手の賭博関与が発覚した事件に対して「これは氷山の一角」と、さらなる関与者が出ることを予言していた。今回、同書の一部を抜粋して掲載する。

正力松太郎が泣いている

 まさかと耳を疑う事件が起きた。しかも、プロ野球の生みの親・正力松太郎が「球界の盟主たれ」と言い遺した巨人軍から3人も野球賭博に関与した選手が出るとは、OBとして開いた口がふさがらない。そして、巨人しか黒い選手が出なかったことが気になる。

広岡達朗氏が巨人の野球賭博問題を斬る!<br />「正力松太郎が泣いている」広岡 達朗
1932年(昭和7年)、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒。 学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。1954年(昭和29年)、巨人に入団、1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動をへて広島とヤクルトでコーチ。監督としてはヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。指導者としての手腕が高く評価された。1992年(平成4年)に野球殿堂入り。

 私は、このいまわしい事件が発覚する前から、一部の現役コーチに「いいか。平時こそどんな不祥事が起きるか分からんのだから気をつけろよ。常に選手の動向に目を光らせ、おかしな点があったら、悪事に手を染めないよう指導してやれ」と忠告していた。多くの現役選手が野球賭博に関与してプロ野球が“黒い霧”に包まれたのは1969年(昭和44年)の話だが、私はいまでも、選手が野球賭博に巻き込まれる恐れは大いにあると危惧していたからだ。私の杞憂(きゆう)が現実になったのが、残念でならない。

 半世紀前の黒い霧事件では、西鉄の投手・永易將之が金銭を受け取って八百長を行う「敗退行為」で摘発されたのをきっかけに、永久追放6人を含む計19人がコミッショナーから処分を受けた。

 野球賭博には、選手が情報を流したり、試合で八百長をするケースと、客として試合に賭けるケースがある。最も悪質なのは、ハンデ師と組んで自ら八百長を演じる「敗退行為」だが、今回の事件も、野球賭博常習者と交際して賭けをした罪は大きい。

 選手はもちろん、球界幹部も「黒い霧事件は半世紀も前の話。近代野球の現在は、そんなおぞましい事件があるはずがない」とタカをくくっていた。ましてや「球界の盟主集団」の巨人ナインが関与するとは思ってもいなかっただろう。だが、胴元やハンデ師は「強い人気球団」でなければ商売にならないのだから、巨人が最高のターゲットにされるのは当然なのだ。

 巨人軍の衝撃は大きく、原沢敦球団代表が引責辞任した。渡辺恒雄最高顧問と白石興二郎オーナーは2ヵ月間、取締役報酬を全額返上。桃井恒和会長と久保博社長も当分の間、役員報酬の50%を返上する処分を行った。(編集部注:3月8日の高木京介投手の関与発覚を受け、渡辺最高顧問、白石オーナー、桃井会長が辞任を発表)

 記者会見で深々と陳謝する球団幹部の姿は痛ましい限りだったが、衝撃が大きいということは、これまでまったく警戒も対策もしていなかった証拠でもある。