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 今回紹介する天才は、「シンガポールの哲人」と呼ばれたリー・クアンユーである。リー・クアンユーはシンガポールの初代首相である。1965年にマレーシアから追放される形で独立して以降、東南アジアの中心、マラッカ海峡の交通の要衝としての立地を活かし、シンガポールを世界経済のハブにまで押し上げた。いまやシンガポールの一人当たりGDPは、日本を上回るまでになっている。

 それだけではない。華僑人脈を駆使し、世界中の情報に通じるとともに、独自の洞察力を持つことから、各国の政治家がリー・クアンユーにアドバイスを求めてきた。古くはリチャード・ニクソンやヘンリー・キッシンジャーが中国との国交を正常化した時期から、最近のバラク・オバマ大統領に至るまで、リー・クアンユーに会うためにシンガポールを訪れてきた各国政治家は少なくない。

国民の資産形成を進め
英語教育でグローバル人材化

 独立当初は、天然資源どころか水すらも十分にない島国を預かり、リー・クアンユーは不眠症で倒れ込むこともあったという。しかし、その後、「他の国が必要とする国になる」「我々にあるのは戦略的な立地条件と、それを活かすことのできる国民だけだ」というモノの見方に至り、次々と施策を具現化していく。

 1950~60年代は、国民の貯蓄促進と住宅開発に注力する。リー・クアンユーは、他の国が必要とする国になるためには、まず国民一人ひとりが自立し、社会的責任を担える健全な精神を養うことが重要だと考えた。そのためには安定した生活基盤が必要であり、給与から一定割合を国が天引きし、強制的に貯蓄させる制度を導入した。

 リー・クアンユーは、こうした形で強制的な施策を実行に移すことから、国民からの人気は必ずしも高くない。しかし、それによって、国民の資産は自然に形成されていくこととなった。また、国が良質な住宅を大量に供給し、多くの国民が貯まったお金を頭金にマイホームを持てるようにした。そして、子供の世代に依存しなくても生活していける社会環境を実現したのだ。

 70~80年代に入ると、今度は教育政策に注力するようになる。まずは「正しい中国語を話そうキャンペーン」を、次いで「正しい英語を話そうキャンペーン」を立て続けに打っていった。

 シンガポールの戦略的立地条件を活かそうとすれば、グローバルに事業展開する企業のアジア拠点を誘致することが最も効果が高い。そのために、最初は華僑系の企業を、次には欧米の企業をターゲットとし、国民のエンプロイヤビリティを高めようとしたのだ。