多数のマンガ作品やヒット曲、名著をヒントに、「マイナス金利」「イスラム国と世界中のテロ事件」「中国バブルの崩壊」「アート作品の高騰」「年金問題」「アベノミクスの失敗」の全てが繋がり理解できる『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が、大きな話題を呼んでいます。

その一部を公開し好評を博している本連載ですが、今回は書き下ろしの特別篇として、いま注目を集めている「ヘリコプター・マネー」という政策についての日本一やさしい解説を試みます。

「ヘリコプター・マネーって何ですか?」

「おはよ~ございます!」

むずかしい経済学のゼミだったはずが、絵玲奈の策略ですっかり興味深いお話の会に変わってしまって、このごろの絵玲奈はすっかりご機嫌だ。今日も元気よく教室の扉を開けた。

ところが今日の教授は、いつものような温厚でぼーっとしている姿と違っていた。暗い……。

「……大丈夫ですか? 教授?」
思わず、絵玲奈は訊いてしまった。

「ええ、大丈夫ですよ……でも、ちょっと暗澹たる気持ちになって、落ち込んでしまいました」

「……なにがあったんですか?」
絵玲奈は心配になって訊いた。

「ヘリコプターですよ」

「ヘリコプターが攻めてきたんですか???」

「ちがいます。ヘリコプター・マネーですよ。こういう記事をみると、怒りを通り越して、とても暗い気持ちになってしまったのです」

と言って、「日本はヘリコプターマネーを本気で検討せよ」というタイトルの記事を絵玲奈に見せた。

絵玲奈はざっと記事に目を通したけれど、難しい言葉が多くてイマイチ意味がわかならかった。

でも、教授が記事を読んで“激オコぷんぷん丸”になって爆発して燃え尽きた結果、今度は逆に“ガチしょんぼり沈殿丸”状態になっていることはよくわかった。こういうときは、素直になんでも話を聞くのが、いちばんだと絵玲奈は思った。

「ヘリコプター・マネーって何ですか?」

「文字どおりヘリコプターからおカネをばら撒くっていうことですよ」

「天からおカネが降ってくるんですか?」

「そうです。もしそうなったらうれしいですか?」

「え~、おカネがタダでもらえるんですよね。そりゃ、うれしいに決まってます」

「でも、タダより高いものはないっていいますよ」

「たしかに。タダでおカネがもらえるなんて、変ですよね……。でも、そもそもヘリコプターからおカネを撒くってどうやってやるんですか? むずかしくないですか」
絵玲奈のおバカな質問に教授は爆笑した。

「(笑)それは、さすがにモノの例えです」
でも、そのおかげで場が少し和んだ。

「中央銀行(日銀)が輪転機回しておカネを刷って、そのカネをヘリコプターからばら撒く……なんて言うほうが派手でインパクト強いですけど、実際にはおカネをみなさんの口座に振り込むんです」

「なーんだ、意外に地味ですね」

「中央銀行(日銀)は国民におカネを渡す口座を持っていませんから、中央銀行(日銀)ではなく、政府が中央銀行から直接おカネを借りてきて、それをみなさんの口座に振り込んでくるんです。これがヘリコプター・マネーです。こんなふうにおカネを撒けば景気もよくなってインフレになるんじゃないかとリフレ派の人たちが言い出しているわけです」

「なるほど~」

「結局、以前のゼミで、『中央銀行(日銀)はインフレをつくれない』と説明したように、量的な金融緩和は無駄だと言うことにやっとリフレ派の人も、気が付いたんですよ。でも、それを反省するどころか、それじゃあ今度はヘリコプター・マネーのような財政ファイナンスをやれと言い始めたというわけです。

 今日は、こんなお話をする予定ではなかったのですが、復習を兼ねてヘリコプター・マネー=財政ファイナンスの話を整理しましょうか?」

「はい、ぜひ!」

「まず、中央銀行(日銀)がどうしてインフレをつくれないかを復習しましょう」
教授は黒板に絵を描き始めた。

「金融緩和というのは、原則的に中央銀行(日銀)が銀行と“等価交換”を行うことにすぎないのです。中央銀行(日銀)が国債などの資産を銀行から買って、その代わりに等価の準備預金を渡すわけです。バランスシートはこんなふうになります」


「この状態では、中央銀行のバランスシートは増えますから、ベースマネーは増えますが、民間のバランスシートにはなにも起きませんので、経済全体ではマネーの量は増えないのです」

「つまり、インフレにならないってことですよね」
絵玲奈は以前のゼミを思い出しながら言った。

「そのとおりです。マネーが増えるかどうかは、このように銀行が貸出を増やすかどうか、銀行次第なのです」


「ところが日銀は、『ベースマネーを増やせば、世の中のマネーが増える』という副総裁の岩田教授の理論を背景に国債などの資産をめちゃくちゃに買いまくりました。でも結局、やっぱりマネーは増えずインフレになりませんでした。2年で2%のインフレにするという目標は、もう4回も目標を延期することになっています。岩田さんは、2年で2%のインフレにできなければ辞任するとまで言っていたのに未だに副総裁の椅子に座っています」

「もう、明らかに間違えていたのに、間違いが認められないってことですよね」

「そういうことですね。そしてリフレ派と呼ばれる人たちは、間違いを認めるどころか、事もあろうかヘリコプター・マネー=財政ファイナンスを唱え始めたわけです……。

 次にヘリコプター・マネー=財政ファイナンスを整理しましょう。まず、最初に財政政策についてです」


「こんなふうに、おカネを借りて使うのは民間である必要はなく、政府がおカネを借りて使えばマネーは増えます。だから、前に言ったようにインフレをつくれるのは、中央銀行ではなくて政府なのです。つまり、金融政策ではなくて財政政策なのです」

「じゃあ、財政政策をやれば景気を良くしてインフレにできるってことですか?」

「ええ、でも、それには、いくつかの条件があります。たとえば、政府が借金をして、みなさんにそのおカネをばら撒いたとしましょう。でも、政府の借金はいつか返済しなければいけないですよね。そのおカネは結局、みなさんの税金で賄うしかありません。つまり、いつかは増税されることになるわけです。」

「それって、今おカネをもらっても、将来、増税されて取り上げられちゃうってことですよね。だったら、使わないで貯金します」

「そうですよね、タダでおカネをもらって今、大喜びしても、将来、取り上げられるとわかっているのだったら、人々のポケットにおカネを入れてあげてもなにも起きません。今の自分が未来の自分からおカネを借りてきているのと同じってことですから」

「なるほど~。そうすると、なんだかおカネを撒かれるとうれしい気持ちになっちゃうのは錯覚ってことですか」

日本人は朝三暮四のお猿さん!?

「朝三暮四って、知ってますか?」

「ちょうさんぼし?」

「中国の故事なんですが、中国の春秋時代、宗の国に猿が大好きなおじいさんがいたんですよ。でも猿が増えちゃって家計が苦しくなったので、猿に与える餌を減らそうと考えて、『これからはトチの実を朝に3個、暮れに4個やる』と言ったところ、猿たちはなぜ朝に3個なんだ少なすぎると怒ったのです。そこで、おじいさんは『じゃあ朝に4個、暮れに3個やる』と言い直したところ、猿は喜んで承知したという話です」

「なるほど~、じゃあ、私たちはお猿さんと変わんないってことですね(笑)」

「まあ、今おカネをもらって、来年、増税しますって言ったらだれでも気が付くんでしょうけどね。

 それに、前にも言ったように、国は他の経済主体と違って、借金を世代を超えてロールオーバーできるんですよ。本当は未来の自分から借りてきたおカネは自分で返さないといけないんですけど、未来の自分は、もう自分じゃなくて自分たちの子孫かもしれないわけです。だから、もらったおカネを自分が返さなきゃいけないとは限らないので、自分たちの子孫に払わせればいいや~ってなっちゃったら、タダでおカネがもらえてうれしいとなっちゃいますよね……」

「げっ! また、私たちにツケが回る話じゃないですか! もう勘弁して欲しいです。でも、そしたら財政政策も意味ないってことですか?」

「いや、必ずしもそうとも言えなくて、政府のおカネの使い道がリスク・リワードに合っていて“経済合理的”であればいいんですよ。それは民間がおカネを使って投資するのとなんら変わりません。たとえば、まだ道路が不十分にしかない時代に、政府が借金をして道路をつくるような投資は将来の経済成長を生むでしょうから、リスク・リワードに合っていて“経済合理的”です。要は借りてきたおカネ以上に富を生めばいいわけです。そうしたら、景気も良くなってインフレになるでしょう。

 でも、さっきの話みたいにヘリコプターからタダでおカネをばら撒くために、おカネを借りに銀行に行ったらなんて言われるでしょう?」

「う~ん、きっと断られると思います」

「ふつうはそうですよね。でも、国は徴税権という強力な力を持っていますから、必ず増税して返済するからと言えば、それなりには信用してもらえるので、国であれば借りれないことはないでしょう」

「なるほど。でも、それって借りるのにきっと高い金利がかかっちゃうんじゃないですか?」

「そう。そのとおりです。いくら国に徴税権があるからといっても、むやみやたらに借金をしてしかもそれをタダで配るなんてことをされたら、本当に返してもらえるかどうか不安ですから、それなりのリスクプレミアム、高い金利が要求されることになるでしょう。つまり、究極的には国債市場が暴落してしまうということになります。本来は、市場が“経済合理的”であるかどうかをチェックしているので、いくら国でも非合理なことはできないわけです」

「つまり、ヘリコプターからおカネを撒くなんてことは、現実にはできないってことですよね」

「そう、もし“経済合理性”に従った市場原理が機能していれば、難しいでしょうね。そこでヘリコプター・マネー=財政ファイナンスというのは、市場を通さずに政府が中央銀行(日銀)からタダでおカネを借りきてタダで撒こうという話なのです。中央銀行(日銀)は実質的に政府の銀行ですから、政治的にゴリ押ししちゃおうというという“経済合理性”を無視した超法規的な話なのです」


「そんなことしちゃっていいんですか?」

「当然ダメに決まっています。“経済合理性”を無視した取引にはリワードに見合わないリスクが伴うからです」

「それって、どういうことが考えられるのですか?」

「政府が中央銀行からいくらでも借りれることになって、歯止めが効かなくなってむやみやたらに借金を増やしてしまい、返済できない懸念が出てきて国家の信用を毀損してしまうリスクが考えられます。その場合、おカネが日本から逃げ出して、通貨が暴落しハイパーインフレになってしまうでしょう」

「うわ~、ヤバいですね」

「でも、日本人はマジメですから、さきほどの話のように政府がむやみやたらに借金を増やしても、政府を信じていて、いつかは増税して返済しようとするはずだと考えるかもしれません。そうしたら、おカネは貯金されるだけでなにも起きないかもしれませんが……。

『じゃあ、政府が借金をするから返済を心配しなきゃいけないわけで、中央銀行が輪転機回しておカネを配ればいいじゃないか。そしたら、将来の増税を心配しなくていいので効果絶大だ』というふうに、ヘリコプター・マネーを推奨する人の中には、新たに創造するマネーは中央銀行から与えられると、基本的なことを理解していないとんでもない勘違いした主張をする人もいます」

「え~と、中央銀行は錬金術師じゃないから、勝手におカネを創れないんですよね」

「そのとおりです。以前のゼミで詳しく説明したように、中央銀行は、無から有を生み出すことはできません。なので、この主張は根本的に勘違いしています。しかしながら、政府が返済を考えなくてよくて、将来の増税もせずに、おカネを創りだして配る方法はないわけではありません」

「えっ、それってどうやるんですか?」

「政府が、永久債のような償還のない債券を発行して、中央銀行に買わせれば良いという話です」

「なるほど。それだとたしかに政府は将来の増税を考えずに借金できるわけですよね」

「でも、問題は、市場原理が働いていれば、永久債のような償還のない債券は、すごくリスクプレミアムを払わないと、つまりすごく高い金利を払わなければ発行できないです。やっぱり都合よく、“タダでおカネを創る”ことはできないのです」

「そりゃ、そうですよね」

「でも、さっきの話と同じで、“経済合理性”を無視して中央銀行にゴリ押ししてタダ同然で買わせれば、ヘリコプター・マネーを推奨する人が言うような都合のいい話は可能です」

「う~ん、でもタダより高いものはないんですよね。“経済合理性”を無視した取引にはリワードに見合わないリスクがあるんですよね。どこに罠があるんだろう」

「カンタンな話です。以前のゼミで説明したように、おカネは裏づけになる資産が化けたものですよね。この場合、私たちが受け取る日銀券は、元本返済がない、しかもタダ同然の金利しかついていない永久債という資産が化けたものなのですよ」

「うわ~、そんなもの要らないです」

「ですよね。つまりおカネの価値は毀損してしまうでしょう。つまり、無から有(おカネ)を生み出したつもりかもしれませんが、それは無から無を生んだだけの話ということです。ですから間違いなくインフレになりますが、それは確実にハイパーインフレになるでしょう」

「なんだか、めちゃくちゃですね」

「ヘリコプター・マネーのような財政ファイナンスを推奨するリフレ派の人たちの主張はあり得ない議論に満ち溢れていて悪い冗談にしか思えません。それは、後先は考えずどんなリスクをとっても“インフレ”にすればなんでも良いというものです。まったくリスク・リワードを無視していて、“経済合理性”の理解がすっぽりと抜け落ちています」

「なんだか私も“激オコ”になってきました! 私たちが“おカネ”のことがむずかしくてよくわからないのをいいことに、デタラメを吹き込んでいるってことじゃないですか!」

「この問題は、目先におカネを撒かれたら喜ぶ一般の人の心理を利用しようという悪意が見え隠れすることです。だれだって、税金を上げるよりも下げてもらった方がいいし、おカネがタダでもらえるならそれに越したことはありません。でも、それが朝三暮四な話だったらどうでしょう?」

「やっぱり、私たちがお猿さん扱いされているってことですね!」

「ええ、そのとおりです。そして、ヘリコプター・マネーのような経済合理性を無視して、無理やりに無から有を生もうとして行った錬金術がインチキだとバレたら、そのときは取り返しのつかないことになるでしょう。政府の信用は失われて、国そのものを無にしてしまうことになるでしょうね……」

「政府も『ハガレン』を読んで、リバウンドのコワさを勉強したほうがいいんじゃないですか。もう私、“激オコぷんぷん丸”です!」

ハガレン……漫画『鋼の錬金術師』の愛称です。

リバウンド……漫画『鋼の錬金術師』の世界観において、錬金術は“等価交換”の原則があり、無から有を生み出すことはできません。無から有を生むような対価以上の物を錬成しようとすると、錬金術者は多大なダメージを被ります。これをリバウンドといいます。