Photo by Kazutoshi Sumitomo
「(貸借人は)いてよし、出てよしですね」。スター・マイカ社長の水永政志は、ビジネスモデルをこのように表現する。
具体的には、賃借人が入っている中古マンションを大家から買い取り、賃借人がいるあいだは引き続き大家として家賃収入を得て、退去後は中古市場で売って売却益を稼ぐ。賃借人がいれば、家賃収入で儲かり、出ていっても売却益で儲かるのだ。
重要なのは、わざわざ賃借人がいる物件を購入する点だ。賃貸中の物件は空き物件よりも3割は安く、リフォームして売れば、必ず10~13%の売却益が見込めるからだ。
賃貸中の物件が安いのは、不動産業では常識だ。業者によっては、高く転売するために賃借人に立ち退き料などを手渡し、なんとか追い出そうとする。
しかし、同社の場合、継続して住んでもらう。「賃借人は平均2年で自然に出ていく。そのぶん、コストもかからず家賃も入る」と説明する。
同社の金庫には、約1000戸分の中古マンションの権利書がある。他社が簡単にまねできない強みとは、大量の物件を売買する膨大で細かい事務処理作業と過去の実績、2時間以内で過去のどんな物件でも査定が可能なデータだ
同社が保有する中古マンションは2000万~3000万円のファミリータイプが中心で、約1000戸。年間約500戸の物件を販売し、約500戸の物件を購入して穴埋めする。
年間約1000回という取引で、コツコツ稼ぐという非常に根気のいる商売だ。
地味である。水永の華麗な経歴を見れば、こんなビジネスを始めたのは、不思議でもある。
まさかの手痛い失敗が
大きなきっかけとなった中古マンション事業
水永は、東京大学在学中、コンピュータソフトウエア会社を興して学生起業家として活躍後、三井物産に入社。米国でMBA取得、ボストン コンサルティング グループを経てゴールドマン・サックス証券では、富裕層向けに資産運用サービスを提供するプライベートバンキング部門で活躍した。
ゴールドマン・サックス時代には、給料明細の枚数で月給を数えた(当時は1枚当たり999万9999円の印字が限界だったため)という逸話が残っているほどだ。
もっとも、水永はここまで順風満帆だったわけではない。「いい気になって大失敗したことがある」と打ち明ける。
それが2000年の不動産ファンドの運用会社、ピーアイテクノロジー(後のアセット・マネジャーズ)の設立だ。
取り組んだのは当時、海外で発展していた不動産証券化ビジネス。これを日本に導入するビジネスプランは完璧に思えた。幹事証券会社、メインバンク、監査法人のすべてが太鼓判を押し、わずか6ヵ月で上場させることが決まっていたほどだった。