悔しい経験からスタートした5年間の集大成に臨む山口 Photo:Getty Images

 ラグビーが「セブンズ」となって92年ぶりにオリンピックに戻ってきた。1924年のパリオリンピックまで行われていたラグビーは、昨年、日本が強豪南アフリカを破って大きな話題を集めたワールドカップなどと同じ15人制。つまり、通常目にするラグビーだった。しかし、リオデジャネイロでは1チーム7人で行う「セブンズ」が実施される。日本は、男女ともにアジア予選に優勝して出場権を獲得。女子は男子に先んじて行われるため、「サクラセブンズ」の愛称を持つ女子日本代表は、日本ラグビー界で初めてオリンピックの舞台を踏む栄誉に浴することになった。大注目のチームの中で特にメディアの視線が集まるのが、トライゲッターの26歳、山口真理恵だ。

 日本の女子ラグビーの歴史は30年あまり。昨年のワールドカップでの男子の大活躍のおかげもあって、今でこそ、テレビのバラエティー番組に出たり雑誌に取り上げられたりと注目を集めているが、競技としての体制が整ってきたのは、2009年に7人制ラグビーがオリンピック実施競技に選ばれて以降の、ここ5年程度にすぎない。オリンピックというスポーツ界最高の舞台を得たことによって、サクラセブンズのキャプテンを務める中村知春がバスケットボール、チームで二番目に長身の桑井亜乃が陸上競技出身と他競技からの転向組も増える中、山口は、今回のオリンピック代表の最年長、34歳の兼松由香ら先輩たちが女子ラグビーの礎を築いてくれた時代を知っている選手だ。

 楕円(だえん)球に初めて触れたのは、地元横浜の小学校時代。当時、日本に入ってきたばかりの「タグラグビー」だった。タックルする代わりに腰のベルトにつけた帯(タグ)を取るタグラグビーは、初心者の子どもでも楽しく、安全に楽しむことができる。日本のタグラグビー普及の功労者である横浜市消防局勤務の鈴木雅夫さんが公園で近隣の小学生たちとタグで遊んでいた時、山口が楕円球と運命的な出会いをしたのは有名なエピソード。この当時のタグ仲間には、今回のチームメイト、鈴木彩香もいる。

 山口のその後の競技歴は、将来を見据えた明確なヴィジョンと、自ら新しい道を切り開く強い意志の持ち主であることを物語っている。高校時代は全国大会優勝歴のある強豪の桐蔭学園など他校のラグビー部に武者修行にでかけ、男子選手と一緒に練習。高校卒業後は、将来オーストラリアにラグビー留学するために留学準備校(NIC)に進み、その後、プラン通りにオーストラリア留学を実現する。シドニー大学クラブで2シーズンプレー。ニューサウスウェールズ(NSW)州の大会で優勝したり、NSW州代表に選ばれて全国選手権で優勝したりする結果を残した。帰国後は、大学チームや女子ラグビー草創期からある伝統クラブチームでプレーするのがまだ普通だった時代に、企業のバックアップを受けて新設されたばかりの「Rugirl-7(ラガールセブン)」に加入。2年前からは退路を断ってラグビーに専念するために支援企業を退社し、フルタイムのラグビー選手として活動している。