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第98回
われわれは今歴史の峠を越えつつある
1965年から73年のあいだのどこかで、世界はそのような境界を越え、新しい次の世紀に入ったとドラッカーは言う。それが現在なお進行中の転換期である。
第97回
自ら貢献し部下を助けるのが経営管理者の責任
経営管理者の仕事は、極力大きなものにしなければならないとドラッカーは言う。明示的に制約されない限り、あらゆることについて権限を持つものとしなければならない。
第96回
少子高齢化が招く政治の不安定化
日本は定年が早く、労働市場が硬直的である。看護や介護の世界では人手不足に泣いている。すでに日本は、外国人労働者に働いてもらわなければ成り立たない社会に向かっている。
第95回
利益とは保険料であり原資である
経済活動とは、未来に対する賭である。したがってそこにはリスクが伴う。リスクに対する相応の用意のない社会は、自らを食いつぶす貧困化する社会であるとドラッカーは言う。
第94回
アメリカの信条は社会を理想実現の手段と見る
アメリカは、社会とはそれ自体が目的ではなく、理想のための手段であるとする点において、信じられないほどに、時には幼稚というほどに、理想主義的である。
第93回
分権制の真意はリーダーの育成にある
組織にとって、製品を効率よく低コストで生産することよりも、リーダーを育てることのほうが重要であるとドラッカーは言う。効率やコストは人間と人間組織がありさえすれば、いかようにもできる。
第92回
社会からの隔離孤絶を改善することが急務
仕事以外に人に会う時間がない。人との付き合いも、同業、同類、取引先が中心となる。ドラッカーは、企業の経営幹部たる者、まず社会からの隔離弧絶を改善することが急務だと言う。
第91回
受け手の期待を知って成立するコミュニケーション
ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とのソクラテスの言葉を引用する。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。
第90回
マーケティングの理想は販売を不要にすること
マーケティングが目指すものは、販売を不要にすることである。だが、ほとんどの企業が、マーケティングのことを報酬を得るための体系的な活動としか理解していない。
第89回
人事の打率は10割にまで上げられる
人は、他の者がどのように報われるかを見て、自らの態度と行動を決める。仕事よりも追従のうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが、業績の上がらない追従の世界となる。
第88回
不確実性の下ではすでに起こった変化を利用する
イノベーションが変化をもたらすと考えられている。だが、そうであることは稀である。成功するイノベーションはすでに生じた変化を利用する。
第87回
組織自らチェンジエージェントに変わる4つの方策
組織が生き残りかつ成功するには、自らがチェンジエージェントとならなければならない。ドラッカーは、チェンジエージェントへと変身するための方策を4つ挙げている。
第86回
複数の解決案を作成することを不変の原則にする
赤か緑しかないと言えば、誰もがおかしく思う。しかし、あまりに多くの人が毎日のように、これとさして変わらない考えのもとに行動しているとドラッカーは言う。
第85回
継続学習する組織が可能にするイノベーション
トップたる者は、部下の声に耳を傾け、元気づけなければならない。想像を理解に、直観をビジョンに、意欲を成果に転換するために自ら働かなければならない。
第84回
自己満足に終わるキャンペーン型マネジメント
キャンペーンによるマネジメントが無益だという自明の結論を出している組織の少なさを、ドラッカーは嘆く。しかもそれは、無益なだけでなく、人を間違った方向に導く。
第83回
リスクの有無を行動の基盤にしてはならない
リスクには4つの種類がある。負うべきリスク、すなわち事業の本質に付随するリスク、負えるリスク、負えないリスク、負わないことによるリスクである。
第82回
有能な人材をカネで懐柔はできない
われわれは一流の人材を、月給やボーナスやストックオプションによってつなぎとめようとする。それでは彼らをとどまらせることも、フルに力を発揮させることも不可能である。
第81回
成功したイノベーションはシンプルである
成功したイノベーションは、驚くほどシンプルである。イノベーションに対する最高の賛辞は「なぜ自分には思いつかなかったか」だと、ドラッカーは言う。
第80回
意思決定は問題の根本を理解して行なう
意思決定は、問題の根本を理解して行なわなければならないとドラッカーは言う。不変のものを見なければならない。賢くあろうとせず、健全であろうとしなければならない。
第79回
21世紀の問題を解決するための社会生態学
ドラッカーは、自らを社会生態学者と規定する。「自然生態学が生物の環境を研究するように、社会生態学は、人間によってつくられた人間の環境に関心をもつ」という。