車 浮代
第20回
佃島の漁師だけが捕獲を許された「御止魚(おとめうお)」だった、白魚。家康亡き後も高額でしたが人気があり、篝火に誘われて集まってくる白魚を、四手網ですくって獲る白魚漁は、江戸の風物詩になりました。

第19回
植物系の国産缶詰第一号であり、日本の古典文学史上、最初に登場する野菜でもある「筍」。調理法の数もダントツに多く、「古事記」でもイザナギを追う黄泉醜女も使命を忘れて夢中で食させたというほど、古の時代より日本人に愛されてきた青物野菜です。

第18回
蛤が夫婦和合の象徴であったことは、平安時代から伝わる「貝合わせ(貝覆いとも)」と呼ばれる遊びからも伺えます。ほかの個体とは形が合致しないことから、二夫にまみえぬ貞淑の証、とされてきたのです。

第17回
鯛は「目出度い」に通じ、縁起の良い語呂合わせになる上、脂の乗り切った桜鯛は味も極上。古代から赤を神聖視してきた日本人は、祝いの席には欠かせないものとして、鯛…特に桜鯛を重用してきました。

第16回
ダイエットやデトックスの頼もしい味方、こんにゃく。冬が旬なのをご存知でしたか? 秋に収穫したこんにゃく芋を、そのまますりおろして作ったのが「生こんにゃく」。粉から作ったこんにゃくと食べ比べてはいかがでしょう。

第15回
落語の前座噺『たらちね』に出てくる「一文字草」とは、御所の女房言葉で「葱」のこと。葱は発する気が強いので、奈良時代は「気」または「キ」と一文字で呼ばれていたようで、それを女官たちが隠語で「一文字草」と称したわけです。

第14回
大トロや松茸のように、江戸時代は安価だったものが、現在では高級食材になってしまったものもあれば、今回のテーマ「卵」はその真逆。仮に、かけそば一杯を400円とすれば、当時のゆで卵一個は500円相当!

第12回
鮭は昔から、捨てるところがないと言われている魚です。平安時代の「延喜式」に、越後の国から朝廷に納める税として鮭が献上されていたことが書かれていますが、品目が細かく分けられていることに驚きます。

第11回
江戸の町を代表する『江戸三白《えどさんぱく》』の一つ、「大根」。あとの二つの“白”は「米」と「豆腐」で、どれも江戸っ子に愛され、頻繁に食べられていた食材です。

第10回
意外なことに、古代より魚介類の生食にこだわり続けていた我が国が、産地以外で殻付きの生牡蠣を食べるようになったのは、明治時代以降のことです。決して新鮮な牡蠣が獲れなかったわけではありません。

第9回
現在ではイモと言えばジャガイモかサツマイモを指しますが、江戸の町でサツマイモブームが起こる以前は、主にイモ=里芋を指したのです。昨今、さまざまな効用から里芋の良さが見直されています。

第8回
江戸時代初期までは、蕎麦と言えば“蕎麦がき”のことで、麺状の蕎麦は当初、“蕎麦切り”と呼ばれて区別されていました。蕎麦切りが鰻・天麩羅・寿司と並んで「江戸前の四天王」と呼ばれるまでに定着したのは、二人の戦国武将の功績によります。

第7回
さっぱりと香り高い「初鰹」と、濃厚でとろける「戻り鰹」。鮪の大トロなど、魚の脂質を好む現代人は「戻り鰹」の方に軍配を上げがちですが、「戻り鰹」が高く評価されるようになったのは、ごく最近のことです。

第6回
「松茸」は江戸時代の狂歌や川柳に度々登場しますが、歌に詠まれるのはもっぱらその形を揶揄した艶もの系のみ。江戸っ子は「上方の人間は、なぜこんなものをありがたがるのか」という感じだったようです。

第5回
庶民の間で、一般に秋刀魚が食べられるようになったのは意外に遅く、江戸時代中期以降のことです。それまでは秋刀魚は魚油を採るための魚で、食用と認められていなかったようです。

第4回
「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉を、秋茄子の美味しさに着目した“嫁いびり”の言葉とするか、身体を冷やす効果を心配した“嫁孝行”の言葉とするか、これほど解釈が両極端な言葉も珍しいのではないでしょうか。

第3回
日本の歴史上、浅蜊ほどたくさん食されてきた貝類はないのではないでしょうか。江戸の町では、京・大坂に比べて浅蜊や蛤の値段が安く、貝類は頻繁に食されていました。

第2回
茗荷の栽培が行われているのは日本だけです。原産地であるインドや中国では食べることもないそうです。日本人が愛してやまないあの独特の香りや歯ごたえは、他国の人にとっては魅力的ではなかったのかと思うと不思議です。

第1回
日本が誇る健康食品「豆腐」。江戸初期は木綿が主流で、大きさは現代のサイズの4倍ほどもありました。店で売るだけでなく、一日三回、決まった時間に売り歩いたので、人々は豆腐屋が来るのを見て時間を知ったそうです。
